2015年9月13日日曜日

障害者になって18年

9月 12日は脳内出血を突発してから18年と言う歳月になってしまった。その後、右下半身の障害者になって不便であるが病気も安定し洛西の病院に週一度リハビリに通っている。思えは18年前、平成9年9月12日の金曜日、西院の知人宅の友禅工場に遊びに行っているときに4時半ごろ気分が悪くなり倒れた。52歳だった。靴を履く間もなく、一瞬で意識不明となり、その後のことは覚えていない。
救急車を呼んで近くの病院へ担ぎこんだと言い、電話で話し妻し、西京区千代原口の病院へ転送するよう救急隊員にお願いしたという。病院に救急車で到着ICUに到着したのは19:00ごろ、その時の表情は瞬きもせず眼を見開いて、(妻に尋ねると・・・)何も返答がなかったという。意識不明は一ヶ月あまりにも達したが、意識もやっと戻り一命を取りとめる事ができた。
病院での寝たきりの日々、車イス生活から一歩立上がって座る回数を増やし、平行棒で歩行を学んだ。 妻は三度の食事に付きっ切りで、よだれがダラダラと流れる状態で食事はこぼす始末、嚥下障害のため飲み込めなかった。右半身マヒというレッテルを貼られ、 解っているのに言葉が話せない!言語障害はストレスが溜まった。
主治医や作業療法士(OT)や理学療法士(PT)、言語聴覚士(ST)の甲斐あって退院することが出来た。また三重県の榊原温泉病院へ行きリハビリをしていたが実姉を亡くした。実姉は脳卒中で 早朝犬を連れ散歩していて自宅の玄関口だったという。義兄は就寝中だった。子どもころ可愛がられた実姉の葬儀にも行れなかった。
三重県の榊原温泉病院を4月半で退院し、京都市のリハビリテーションセンターに、当時病院リハビリの方には随分お世話を頂いた。  一命を免れ18年経った今日、何よりもリハビリが大切と痛感しつつ、あしたも生きることを願う。(9/12撮影)

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