2015年3月5日木曜日

祇園東 襟かえ

京都には島原・祇園甲部・祇園東・上七軒・先斗町・宮川町の六花街があり、それぞれお茶屋や置屋がある。衿替えのあった祇園東の置屋「栄政」さんは、東大路通の祇園会館西並びにあった。
笑顔の耐えない涼香さんだった。今日の主役、涼香さんは14:00衿替えのため別誂えの豪華な「黒紋付き」を着付けてもらい、男衆さんと共にお茶屋さんに挨拶廻りをした。
置屋「栄政」さんの前で写真愛好家にポーズをとった。この日、3日も下鴨神社の「流し雛」を見てから祇園東に移動、なんとか雨は持つように思われた。
しかし、無常にもポツリと降ってきた、祇園東は15:00頃からの予定だったが雨で繰り上げたという。
老舗、祇園小石前で・・・。
涼香さんは宮崎県の出身だという。舞妓写真愛好家は4,50人、それもその筈、舞妓さんの涼香さんは宮崎県の出身で仕込みや舞妓さんとなって祇園東の超売れっ子になったという。
祇園東の叶家さんの狭い通りで・・・。 舞妓さんと芸妓さんの違いは、舞妓さんの場合、地毛を結い花簪(はなかんざし)で華やかに飾りる。
可愛い涼香さん。
一方、芸妓さんは島田などの鬘(まげ)を被り、化粧も大人っぽくなり着物も肩に柄の無い落ち着いたものに変わるという。
ちゃけったっぷりの涼香さん。
朱色の番傘と笑顔が溢れる涼香さん。舞妓時代の赤い衿を、落ち着いた白い衿に変わることが“襟替え”で舞妓さんが芸妓さんになる儀式である。
こちらのバーも挨拶した。初芸姑さんの涼香さんは各お茶屋さんや通りあったお姐さんにお辞儀をし、男衆さんと一緒にご贔屓筋に回り「今後ともおたのもうします」と挨拶した。
観亀神社で記念撮影した。 公の廓とされた祇園内六町の新地が明治19(1886)年に京都府の命で二分され、昭和24(1949)年に東新地と呼ばれ一時は「祇園乙部」と呼ばれていた。
戦後は祇園東の名称となり東大路、四条通り、花見小路、新橋通りで囲まれた区域という。
バイバイと手を振ってくれた。
皆さん、おおきにとお礼を言った。また京都五花街の中で、唯一祇園東は秋のみの公演(祇園をどり)となっている。(3/3撮影)

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