2013年11月9日土曜日

かにかくに祭(祇園白川)

8日午前、東山区祇園白川沿いで、歌人・吉井勇を偲んで「かにかくに祭」が催された。『かにかくに 祇園は恋し 寝(ぬ)る時も 枕の下を 水のながるる』 と詠み、祇園をこよなく愛した明治、大正、昭和の初期までの歌人・吉井勇を偲び、毎年、祇園甲部の芸舞妓が歌碑に白菊を手向けて“かにかくに碑”で献花が行われた。
芸舞妓さん4人が静かに手を合わせた。
毎年、祇園甲部の芸舞妓が歌碑に白菊を手向けて“かにかくに碑”で献花が行われた。この日は暖かく、歌碑の前で祇園甲部の4人の芸舞妓さんが登場すると花街の華やかな雰囲気が醸し出された。 「かにかくに碑」の前で、芸舞妓さんが白菊を供え、静かに手を合わせ献花した。
まず最初に芸妓さんから献花。
僅か15分~20分間に報道関係や多くの写真愛好家や観光客らが、しきりにカメラのシャッターを切っていた。 芸舞妓さんの献花がはじまると僅か15分~20分間に報道関係や多くの写真愛好家や観光客らが、しきりにカメラのシャッターを切っていた。
舞妓先輩格から順番に献花し静かに手を合せた。歌人・吉井 勇は、鹿児島藩士吉井友実(伯爵)の孫として東京に生まれた。
上唇も塗らない一年未満の舞妓さんは緊張の面持ちだった!
芸姑さんに連れられて舞妓さんは動いた。昭和8年結婚し高知の山里に隠棲、4年後再婚、翌年京都に移住、晩年は爵位(しゃくい)を返上し隠居、北白川周辺に住み祇園に通ったといわれている。
キレイな舞妓さんの「だらりの帯」。
当時、白川の両岸に茶屋が建ち並び、建物の奥の一間は川の上に少々突き出ており、「枕のしたを 水のながるる」はそのものの情景を詠んでいる。明治43年に吉井勇が詠んだ一首で、歌集「酒ほがひ」に収められている。
艶やかな芸姑さん。楊が似合う芸姑さん。歌碑の建っている地は、祇園白川のお茶屋「大友(だいとも)」があり、その女将「お多佳さん(磯田多佳)」の幅広い交流で、当時文人・夏目漱石や谷崎潤一郎ら有名作家や画家が多く訪れたと言う。
巽橋で関係の方がお見送りをした。
お疲れさんでした。祇園花街を愛してやまなかった彼(勇)の感性を感じさせるものでもあり、風情のある石畳を歩いて文人たちの粋を感じ、白川の流れの音もどこか風流に聞こえてくるようだ。昭和30年11月8日に歌碑が建立された。
歌碑のある場所は、四条通りから大和大路を北へ白川を渡って石畳の道を東へ行った白川巽橋のすぐ側、南側にある。
<かにかくに祭>
開催場所:東山区祇園白川通り
開催日時:11月8日 午前11:00
お問合せ:075-561-1115
交   通:京阪電車「祇園四条駅」から徒歩5分     
      市バスあり

0 件のコメント: