2013年11月15日金曜日

店出し 祇園宮川町

14日、祇園宮川町の置屋・しげ森さんで「店出し(舞妓としてお目見えすること)」というお披露目があった。花街の「店出し」は、幼い少女が見習いの修業を重ね、晴れて正式に舞妓さんになった儀式をすることをいう。
今日の主役、「小はる」さんはやや緊張気味、先輩芸姑の「小ふく」さんと姉妹の盃が交わされた。
祇園宮川町の置屋・しげ森さんで「店出し」が行われた。今日の主役、「小はる」さんは置屋の前で少し緊張気味に先輩芸姑の「小ふく」さんと記念撮影した。
多くの芸姑さんや舞妓さんがお祝いに駆けつけた。その後、舞の師匠やお茶屋など、ご贔屓筋に廻って丁寧に挨拶をした。小春日和の佳き日、宮川町の狭い筋には高級一眼レフのカメラマンたちが今や遅しと待ち構えていた。
しげ森さん(置屋)へお祝いの鯛も届けられ、多くの芸姑さんや舞妓さんがお祝いに駆けつけた。
見習いの少女は帯は「半だら」という。舞妓の始まりは今から約300年前、北野天神や祇園八坂神社の門前町にあった水茶屋で、参拝客にお茶や団子をふるまった女性が始まりといわれている。
舞妓さんは正装の黒紋付姿で廻った。当初はお茶や団子を出すだけだったがいつの頃から茶屋の女たちが踊りや歌を披露、いわば「芸姑‘やとな’(雇女)」の始まりという?いつしか、少女にかわいい着物を着せ、舞を踊らせ、これが「舞妓」の始まりという。
宮川町では女衆(おんなし)さんと回った。舞妓さんになるためには、置屋で住み込みで半年~1年程度修業し舞や作法、花街言葉などを習得する。そして晴れて「店出し」をするときは、本人を物心両面で支えるお姉さんを決め、姉妹の盃が交わされるという。
女将さんは、小はるさんに先ず左足から注意を促していた!舞妓さんは「芸妓」になる前の修練期間(5~6年)で、一通りの舞や三味線、お囃子などを勉強し芸妓さんになるための修業をするという。
舞妓から芸妓へと「衿かえ」をするが、可愛い赤の長襦袢。キレイな花かんさしの舞妓さん。そして15歳以上で、20歳くらいで舞妓から芸妓へと「衿かえ」をするが、舞妓さんの髪の毛はかつらではなく自分の髪で結われている。
襟足のおしろいは通常2本だが特別な時は3本足に塗ってもらった。舞妓さんは「店出し」から髪型「割れしのぶ」を結う。3年目くらいは髪型「おふく」を結い、そして芸妓さんになったとき「先笄(さっこう)」という髪型を結う。
また、特別な髪型として「おふく」の人が祇園祭の頃に結う「勝山」や、お正月や八朔など正装の黒紋付を着る時に結う髪型「奴島田(やっこしまだ)」があるが気をつけて見なければ分りませんね。
やっぱり気になるのは後姿の「だらりの帯」、歩くとゆらゆら揺れる帯、「店出し」をすると帯は「半だら(見習い用)」から「だらり」の帯に変わるという。
狭い路地裏にもお茶屋、ご贔屓筋に丁寧に挨拶をした。男衆(おとこし)さんと呼ばれる着付け専門の男性の手によって着付けが行われているという。 店出しの日は、襟足のおしろいは通常2本だが特別な時は3本足に塗り、1年未満の舞妓は、下唇にしか口紅をつけることができなく、お化粧をしてもらうがほんとに可愛らしかった。
舞妓の小はるさんと芸姑の小ふくさん、中々こちらを見てくれなかった!左端「しげ森」の女将さんと、その関係者の方と記念撮影。月毎にかわる「花かんざし」と高い特有の桐下駄の「おこぼ」も トレードマークのひとつといえる。華やか花街だが舞や三味線、京言葉や作法など習得し、芸姑になるための修業期間である。

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