2012年11月8日木曜日

かにかくに祭(祇園白川)

8日、午前11:00から東山区祇園白川沿いで、歌人・吉井勇を偲んで「かにかくに祭」が催された。 祇園をこよなく愛した明治、大正、昭和の初期までの歌人・吉井勇を偲び、毎年、祇園甲部の芸舞妓が歌碑に白菊を手向けて“かにかくに碑”の前で献花が行われた。
歌人・吉井勇を偲び、毎年、祇園甲部の芸舞妓が歌碑に白菊を手向けて“かにかくに碑”の前で献花が行われた“かにかくに 祇園はこひし寝(ぬ)るときも 枕のしたを水のながるる” の碑この日はポカポカ陽気で暖かく感じ、歌碑の前で甲部の4人の芸舞妓さんが登場すると花街の華やかな雰囲気が醸し出された。
白菊を供え、静かに手を合わせ献花する舞妓さん微笑ましい姿の芸舞妓さんたち「かにかくに碑」の前で、芸舞妓さんが白菊を供え、静かに手を合わせ献花した。芸舞妓さんの献花がはじまると僅か15分~20分間に報道関係や多くの写真愛好家や観光客らが、しきりにカメラのシャッターを切っていた。
歌人・吉井 勇(1886~1960)は、鹿児島藩士吉井友実(伯爵)の孫として東京に生まれた。1933(昭和8)年結婚し高知の山里に隠棲、4年後再婚、翌年京都に移住、晩年は爵位(しゃくい)を返上し隠居、北白川周辺に住み祇園に通ったといわれている。
舞妓さんのだらりの帯当時、白川の両岸に茶屋が建ち並び、建物の奥の一間は川の上に少々突き出ており、「枕のしたを 水のながるる」はそのものの情景を詠んでいる。1910(明治43)年に吉井勇が詠んだ一首で、歌集「酒ほがひ」に収められている。
2人の芸姑さんも駆けつけて・・・笑顔が素敵な芸姑さん歌碑の建っている地は、祇園白川のお茶屋「大友(だいとも)」があり、その女将「お多佳さん(磯田多佳)」の幅広い交流で、当時文人・夏目漱石や谷崎潤一郎ら有名作家や画家が多く訪れたと言う。
祇園花街を愛してやまなかった彼(勇)の感性を感じさせるものでもあり、風情のある石畳を歩いて文人たちの粋を感じ、白川の流れの音もどこか風流に聞こえてくるようだ。勇の古希(70歳)を祝って、彼と親しかった谷崎潤一郎や堂本印象、湯川秀樹博士等が発起人となって、1955(昭和30)年11月8日に歌碑が建立された。
人力車も通った置屋に帰る舞妓さん、お疲れさんでした 歌碑のある場所は、四条通りから大和大路を北へ白川を渡って石畳の道を東へ行った白川巽橋のすぐ側、南側にある。
広辞苑によれば、かにかくに・・・とは、「このように。とやかくと。あれこれと。かにもかくにも。」言う意味という。
<かにかくに祭>
開催場所:東山区祇園白川通り
開催日時:11月8日 午前11:00
お問合せ:075-561-1115
交   通:京阪電車「祇園四条駅」から徒歩5分      
                市バスあり

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