2012年3月10日土曜日

京都大丸 宮沢賢治展

7日、下京区の京都大丸で「雨ニモマケズ」の宮沢賢治展が始まり行ってみた。
この催しは、大丸ミュージアム京都6階で7日~19日まで行っている。東逸子氏の作品で銀河鉄道の夜(1993年)
宮沢賢治と高村光太郎が揮毫したアメニモマケズ詩人で童話作家の宮沢賢治(1896~1933年)の生涯と作品を紹介する「宮沢賢治・詩と絵の宇宙(京都新聞社など主催)」を描いた理想郷「イーハトーブ」の世界に触れ、賢治の遺品など約300点を展覧していた。
賢治は、1896(明治29)年8月27日 に長男として花巻市に生まれた。古着商の裕福な家庭で育ったが、1933(昭和8)年9月21日に急性肺炎で死去した。享年37歳の若さだった。花巻生れの宮沢賢治は「銀河鉄道の夜」「雨ニモマケズ」など数々の名作を残した。詩や童話、教育、農業、科学と多彩な活動を繰り広げ、死後80年近く経たいまもなお人々の心深く強く訴えかけてくる。没後見つかった手帳に書いた「雨ニモマケズ」
水彩画で「日輪と山」賢治が描いた会場はたくさんの賢治フアンの方が訪れ「雨ニモマケズ」の詩が直筆で書かれた手帳や自筆の水彩画など生涯の作品など観覧していた。また多くの作家らによる詩や童話作品のために描かれた挿絵原画などを熱心に見ていた。
この日は14時から賢治の弟の孫の宮沢和樹さんの特別講演があった。
その中で、哲学的で硬いイメージをもたれがちだが『人を楽しませ、面白い人だった』と祖父から聞いた本来の姿を伝えたいと話し「注文の多い料理店」を刊行したがさっぱり売れず在庫の山、運動会の賞品にだす、料理の本で貰った人は喜んだがメニューはなかったという。今では古本で高値が付くという、また宮沢さんは注文の多い料理店の広告は左右からでも読まれるものであったと話していた。スズキコージ氏作品で「オツベルと象」
伊勢英子氏の作品で風の又三郎(1993年)あの大震災から一年が経過し、亡くなった人は1万5854人、身元不明者は被災3県で478人にもなり無縁仏として安置されている。今も行方不明者の数は3167人(9日現在)で一刻も早い遺体収容が望まれる。34万3935人の転居避難者が居ることも忘れてはならない。日本が復興をめざす中、「雨ニモマケズ」でよく知られる宮沢賢治があらためて注目されている。
会場では写真撮影は禁止してあったが、これらの写真は京都新聞3/6朝刊によるものである。実は岩手県花巻市は私の故郷で、車で10分の処に賢治記念館がある。今年は田舎に帰ろうと思っている!
なお2010/8月のふるさと紀行のブログもご覧いただきたい(^^) 
<宮沢賢治展>
会   場:大丸ミュージアム京都6階
期   間:2012年3月7日(水)~3月19日(月)
入場時間:午前10時→午後7時30分(午後8閉場)
       ※最終日は午後4時30分まで(午後5時閉場)
入場料金:一般800円 大高生600円 中学生以下無料
       ・障害者無料
       ●会期中無休

0 件のコメント: