2012年3月8日木曜日

西国街道「ひな人形めぐり」その2

つづく・・・西国街道「ひな人形めぐり」は、ブラブラ歩いていると途中にキレイなひな人形の折り紙もあり、近くの向陽小学校の生徒や地域一体で参加していた。 古今雛段飾り
塩崎家、西国街道「ひな人形めぐり」に初参加向日神社を過ぎて五辻の交差点、左から二筋目が西国街道、緩やかな石畳の下り坂、左手に暖簾の塩崎家があった。思わず足を止め中に入った
地元の小学生も参加塩崎家では、西国街道「ひな人形めぐり」は始めて参加と言う。祖父母からいただいたお雛様は、娘が嫁いだ後は旧暦の桃の節句に一人で飾り、一人で片づける静かなひな祭りであったと回想する、だがことしはイベントに参加して賑やかになった。北隣の老健施設のお年寄りの方もひな人形を観に来ていた。さっそく雛人形を拝見した。御殿雛
江戸時代に作られたお雛さん江戸時代に作られたひな人形は、緋毛氈(ひもうせん)の代わりに、エキゾチックな柄の布が使われていた。雛人形は古今雛の段飾りと御殿雛も飾られ、いずれも格式の高い上品さが伺えた。 近衛家拝領御文庫は、色紙、櫛入れ、懐紙や手書き、版画に使う和紙
昭憲皇太后(明治天皇のお后)の由来の袱沙(ふくさ)が現在もあるまた昭憲皇太后(明治天皇のお后)の由来の袱沙(ふくさ)が現在もある。
清水家の先祖(四代前)の女性が京都御所に乳母として仕えていた。都が東京に遷都した。皇太后が幼い頃、お召しになっていた緋色の袴で、皇太后のお印「若葉」の刺繍を刺した袱沙に仕立てものを賜り、家宝として大切にしてきたという。さらに近衛家拝領御文庫は、姫君が遊ばれた色紙、櫛入れ、懐紙や手書き、版画に使う和紙も入っておった。怒り上戸、泣き上戸、笑い上戸
この雛飾りは塩崎家に飾られていた御殿雛や古今雛の段飾りだが、室内撮影はビントボケも多く画像が悪い、雰囲気が理解できる程度でよろしくお願いする。
塩崎さんは、「街道や商店街を一軒ずつそぞろ歩きしながら楽しんでほしい」と言っておる。明日は最終、中小路家住宅とする。つづく・・・

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