2010年1月10日日曜日

上七軒・始業式

ちょっとした仕種にも芸舞妓は、艶がある
上七軒歌舞練場玄関上七軒(かみしちけん)は京都五花街のうち一番古い歴史を持つ花街で、9日歌舞練場で始業式を行った。背景は良くないが”シャターチャンス”
お茶屋前を足早で始業式に急ぐ上七軒は上京区真盛町から社家長屋町に位置する花街で(祇園、先斗町、祇園東新地、宮川町、島原、上七軒)の中でも最も古く、今出川通七本松西入から北野天満宮東門に至る両側にお茶屋・置屋がある。笑顔も可愛い舞妓さん、月桂冠の会長も来ていた!
上七軒のお茶屋組合から始業式に入る上七軒という名称は、室町時代に北野天満宮の再建のとき、残った用材を使って七軒の水茶屋を建てた。これが「上七軒」の由来という。
また、桃山時代に豊臣秀吉が北野で大茶会を開いたとき、上七軒から差し出された土地の名産「御手洗団子」を献上したところ大いに誉められ、以来、山城一円の茶室株を与えられたという。これにより上七軒のお茶屋のでは御手洗団子を「定紋」とし、毎年、秀吉を祀る豊国神社に御手洗団子を奉納する慣わしがあった。この芸姑さんは写真愛好家の頼みに応えてくれた!
何気ない身のこなしが印象にのこる秀吉はこの団子を気に入り現在でも上七軒の御茶屋の提灯に「つなぎ団子」があしらわれている。稲穂のかんざし髪飾
現在でも上七軒の御茶屋の提灯に「つなぎ団子」があしらわれている上七軒の茶屋が作った団子が「みたらし団子」の発祥という説もあるが、一方で下鴨神社にある御手洗神社(みたらしじんじゃ)が発祥という説もある?が、西陣の結びつきの花街としての繁栄を極めている。
お茶屋10軒、芸妓、舞妓合わせて25名である。舞妓たちは足早に帰りを急ぐ
始業式を終え皆、リラックス現在、舞妓は7名で舞踊の流派は明治以前は篠塚流、その後は花柳流で茶道は西方尼寺で習得している。
毎年春に行われる上七軒最大のイベント『北野をどり』では稽古を積んだ芸舞妓の踊りが披露される。また、初夏には上七軒歌舞練場の前庭でビアガーデンも開かれ、浴衣姿の舞妓や芸妓が出て気軽に会話やお酒が楽しめる。おかあさんたちもカメラの放列にビックリしていた
一番古い歴史を持つ上七軒初めて上七軒を訪れたが、祇園にない親しみを感じた、。既に4日ごろ新年のあいさつは済んでおりお茶屋・置屋を訪れることはなく写真愛好家には芸舞妓をパパラッチのよう煩く取り巻いていた。
お茶屋、芸舞妓の増減が激しい中、室町時代から続く伝統を大事にしながら新しい方向へ歩みだしている。

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