2010年1月5日火曜日

鳴虎 報恩寺


京都では社寺を名乗るよりも、通称で呼ばれている社寺がある。寅年に合わせて12年ぶりに一般公開する「鳴虎(なきとら)」で有名な報恩寺に行った。上京区堀川通寺之内でバスを下車、東へ200m右折すると西側に浄土宗・報恩寺がある。入り口
報恩寺の山門
文亀元年(1501)天台浄土兼学寺院として後柏原天皇より慶譽上人一風明泉和尚に論旨を賜り寺院となった。
本尊は鎌倉時代の阿弥陀三尊像で室町時代中期までは、京都御所、江戸時代一条高倉付近で有栖川宮高松殿邸に在ったと織田信長が洛中洛外図で描かれていた。現在地に移ったのは織田や豊臣の下知状によることが明瞭である。
裏庭方丈の庭後柏原天皇より報恩寺に下賜された仏舎利、浄土変相、虎図、興正菩薩・25条袈裟や数々の像は国の重文である。
元和9年(1623)黒田長政が入洛、報恩寺を宿坊としたが持病の発作のため客殿で往生した。享保15年(1730)と天明8年(1788)度重なる大火に見舞われ消失、山門が類焼、奇しくも仁王像が残った。「墓飛びの仁王尊」の2体がある。
毛一本までが精巧に描かれている今年の干支の「寅(とら)」に合わせ、元日から三日間、報恩寺では豊臣秀吉ゆかりの掛け軸「鳴虎」が12年ぶりに一般公開されていた。
合わせて織田信長像の軸や秀吉、徳川家康の書状などの寺宝約50点も披露した。寅年の正月三が日にだけ公開されている。
豊臣秀吉が、絵の中の虎が夜中にほえたため聚楽第で眠れなかったという言い伝えがある「鳴虎図」は、後柏原天皇より下賜された虎の大軸物で中国の仁智殿四明陶佾(とういつ)が描いたものである。

当時、頻繁に報恩寺を訪れていた秀吉が感動し、ゆっくり鑑賞しようと聚楽第に持ち帰ったが、夜になるとトラが鳴いて眠れなかったため「これは鳴き虎じゃ」と寺に返したという。重要文化財はたくさんある 秀吉が寝られなかった鳴虎
「鳴虎」は、松とカササギの前でトラが小川の水を飲む中国伝来の図で、絹本に描かれ、毛並みが一本一本丁寧に描かれている。大橋住職は「左からと右からで、トラの姿が違って見える妙も味わってほしい」と立つ位置も指定、なるほどと頷けた!紫外線で変色するため、普段は公開していないという事だった。
残念ながら写真撮影禁止だが、その代わり2枚1組の写真が販売していた。
「おびんする」さまという羅漢さま鐘楼で自害した悲しい織女ところで、この報恩寺は本堂・庫裏は再建されていない。
本尊はこの客殿(方丈)に祀っている。また報恩寺の梵鐘(平安時代鋳造の名鐘・重文)“つかずの鐘”という悲しい伝説もある。秀吉とねねに仕えた孝蔵主の墓がある。さて次回の「鳴虎」の特別公開は12年後のことだろうか?
<報恩寺>
住所:上京区小川通寺之内下ル射場町579
電話:075-414-1550
交通:地下鉄 今出川下車 徒歩約10分
    市バス 堀川上立売下車 徒歩約2分
駐車場:自家用車10台分 無料
車椅子:不可
拝観料金:500円/障害者100円
特別拝観:寅年の1月1~3日・寺宝展
開館時間:9:00 - 16:00

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