2010年1月18日月曜日

三十三間堂“通し矢”2010

17日、京都東山区の三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)で弓道界・恒例の「大的全国大会」があった。通し矢は新成人男性から始まる
大的弓道全国大会
新成人の晴れ着姿の男女約2000人が、約60m離れた大的(直径1m)に向かい矢を放った。通称、三十三間堂は正式名は蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)で後白河上皇が創建した仏堂で、本尊は千手観音である。
緊張の一瞬射距離は60m、的径は1m
平安時代、武士が約120mの軒下を射通す数を競った「通し矢」が起源で江戸時代に競技化され、全国津々浦々から集い競い合う。タスキ掛、指導所に急ぐ九大の学生
門をくぐると堂内は参拝の方々や大的全国大会の人混みで混雑である。
お堂の西庭の特設射場は、さらにたくさんの新成人の晴れ着を着た弓道家や大会競技を見ようとする人で超満員だった。宮城からは東北大学
タスキ掛けてもらう
例年開催されるこの大会は、ことしが現行、60回目という。
日頃、弓道に志す射手たちが「弓の引初め」として京都・三十三間堂に集合する。
襷掛けも凛々しく袴姿や振袖姿で、約60m先にある直径1mの的を射的する姿は、厳粛そのもので弓を引き、狙いを定める間にはまさに威厳がある!笑顔が可愛い新成人新成人は男性948人女性906人合わせて1854人
通し矢は、もっとも盛んになったのは江戸時代で、通し矢がお堂通しになったのは天正年間(1573~1592)と云われ距離は約六十六間(120m)で、現在の倍の長さを一昼夜で何本通すか矢を射る舞台で各藩の弓術家の伝統行事であった。通し矢の賞状を手に記念撮影参加賞を見せてもらった
現在は三十三間堂(*注)「楊枝浄水加持(やなぎのじょうすいかじ)大法要」と正月十五日に近い日曜日に、本堂西側の射程60mの特設射場で矢を射る「三十三間堂大的全国大会」が行われている。
こちらのトリオは弓を引いて写真屋さんが撮影競技終わって三十三間堂をバックに撮影
射距離60m先の直径1mの的に2本の矢を放ち命中を競うもので、60mは弓道競技の「遠的」の射程であり、かつての通し矢とは実際違うのだが、いまも弓道は正確な技術と強い体力や精神力が必要なことから、毎年この時期に開かれているという。
弓を閉まっているところあちらこちらで記念写真撮影をしてる
あでやかな振袖に白いたすきを結んだ新成人らが弓をかざし60m先の的を狙って次々と矢を放った。矢が飛ぶ姿を固唾を飲んで見守り、見事矢が的中すると、場内の観客は大きな歓声と拍手を送っていた。
朱塗りの東門をバックにハイポーズ東京からという彼女たちは静かな場所を選んでいた!
国宝の三十三間堂は「矢」と「弓」を持った方たちで会場は埋まり戦国の風景にタイムスリップしたかのようだ。地元は基より東北の宮城や東京、横浜、九州、愛知、大阪各地の新成人が弓道の上達に来ていた。射的場から出ると、また華やかな新成人の社交の場となる。
新成人の迎えた振り袖・袴姿の色とりどりのたすきがけの女子の競射は正月ならではの華やぎをみせ、京都の風物詩になっている。通し矢が済んだらみな空腹で・・・
手にはたこ焼きを持ちながら・・・また同時に会場の三十三間堂は“頭痛封じ”の「楊枝のお加持」の法要も行われた。:「正月の初水をご本尊の霊力にて7日間ご祈祷。霊木とされる柳の枝で法水を参拝者に灌いでお加持法要する慣わしで、後白河上皇の頭痛平癒にあやかる霊験あらたかな行事で妙法院(三十三間堂は妙法院の頭塔)門主が勤める
堂内はこの日無料開放され会場には多くの観光客や参拝者が詰めかけた。
露店も出て、新成人弓道家の晴れ着姿をカメラに収めようとする素人カメラマンの人達も多く、華やかで賑やかな日となった。
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