2009年6月14日日曜日

大悲閣(千光寺)

やっと山門が見えてくる
大悲閣表参道
京都、嵐山、渡月小橋を渡ると、上流方向の川沿いに細い道が続いている。
軽車両がやっとで離合も出来なく、また上り下りも困難でとても不便といえる。
その道をずっと進むと、やがて山に登る道になり、大悲閣への登り口になる。
渡月橋から健常者で徒歩15~20分くらい、山の中腹にある大悲閣へは徒歩15分くらいの階段坂道だ!
この寺は、江戸初期の豪商、角倉(すみのくら)了以(1554~1614)の建立したものだ。 本堂は焼失してなく観音堂
「天然勝境」という場、眺望が素晴しい!
大悲閣は、大悲閣千光寺といい、角倉了以が、保津川、大堰川河川工事中に犠牲になった人々の菩提を弔うために嵯峨、中院にあった千光寺を中興するということで、移転した。
角倉了以は、大堰川、富士川、天竜川、高瀬川などの河川開発工事を行い、豊臣秀吉から朱印状を得て、海外貿易を行った京都の豪商、土木事業家だった。
自己の利益を考えるばかりでなく、人のためにもならなくては事業の意味がないという考えを持った了以は、商売の交渉は息子に任せ、自分は物資の輸送が便利に出来るよう土木事業に没頭した。
工事によって被害の出た農民に補償をするという、当時の社会としては驚くべき考え方を持った人でもあった。京都市街を一望出来る眺望は、素晴らしいものだ!
道空上人と角倉了以了以は晩年、ここに隠棲し、亡くなった。
「花の山 二町のぼれば 大悲閣」芭蕉も詠み、京都市街を一望出来る眺望は、素晴らしいものだ!
了以の念持仏、絶えず祈っていたのが、本尊の千手観音菩薩。
大悲閣というのは、山の上の観音堂ということだ。
仏教の慈悲の「悲」をとって大悲閣と名付けたという。

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