2015年6月9日火曜日

萬福寺 嶋原太夫

8日、宇治の黄檗山萬福寺で、午後3:00から梅雨の最中、嶋原太夫の太夫道中と舞が披露された。黄檗山萬福寺の広大な境内は太夫道中を一目見様とする大勢の参拝者で集まった。
太夫道中は三門から天王殿までの参道を禿(かむろ)2名を従えて進んだ。
後方には若衆が持つ大傘、葵太夫さんがゆったりと「内八文字」で進んだ。
天王殿前に到着し、葵太夫さんと禿さんは皆さんにご挨拶した。
その後、天王殿前では緋毛氈が敷き詰められ、太夫の顔見世の‘儀式’「かしの式(盃をお客さんに見せる)」太夫さんとお客さんとのお見合いごとだそうで、舞ではなく儀式が始まった。
打掛が着られるようになったのは、室町時代、高位の女性が小袖の上に打掛を羽織ったという。また島原など特定の遊郭の上級の女性達の正装でもあった。
続いて葵太夫さんの舞、古(いにしえ)が披露された。
太夫は着物姿も合わせると約30㌔の重量をつけて舞い、簪(かんざし)は昔の鼈甲、横のびらびら簪は珊瑚を使用する。
頭だけで5~6㌔、帯は前結びで伎芸を見せるため、「心」という字に結んいる。
太夫は御所に上がる事の出来る正五位の身分を持ち、茶道、華道、書道、和歌から琴、三味線、唄、舞踊に至るまでたしなむという。
また司太夫さんが七福神と宇治茶の二曲の舞を披露された。

また記念撮影時間があり、誰でも太夫さんとお写真を写して貰い、東京から来たという彼女も居った。
今日の萬福寺の嶋原太夫、太夫道中と舞を観て梅雨空も何処か吹っ飛んだ。(6/8撮影)

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