2011年2月28日月曜日

上七軒(かみしちけん)

つづく・・・毎年2月25日は天神さんの「梅花祭」が行われた。梅を愛した平安貴族の菅原道真公の命日をしのび、梅の花が見ごろを迎えた境内では、京都最古の花街・上七軒の芸舞妓らの奉仕で野点(のだて)大茶会が開かれた。芸妓がお点前を披露する
5分咲の白梅この日、はなやかな着物姿の芸舞妓らが緋色(ひいろ)の傘を差した茶席にお茶を運び、約2000人の方がお点前を味わった。メジロが2羽梅林にやってきた
三光門前広場「梅花祭野点大茶湯」北野天満宮の三光門前広場「梅花祭野点大茶湯」では、お茶を頂く長い行列ができて、芸舞妓さんもお茶屋のお上さんも総出で野点の接待の奉仕をしていた。後方の二人、話もある!
三人連れの舞妓さん上七軒の歴史は、室町時代に北野天満宮の一部が焼失し、再建の際に残った用材を使って七軒のお茶屋を建て“七軒茶屋”と称したことにはじまる。
1587(天正15) 年、桃山時代に太閤秀吉が北野で大茶会を催した折、上七軒から差し出された土地の名産「御手洗団子(みたらしだんご)」を献上したところ大いに誉められた。歳は十代だろう
御姐さん、おおきに!と挨拶して別れたこれにより上七軒のお茶屋では御手洗団子を「定紋」とし、“五つ団子”が上七軒の「紋章」になっている。秀吉は、この団子を気に入り今日でも上七軒のお茶屋の提灯には「つなぎ団子」があしらわれている。ご苦労さんでした
上七軒の舞妓の数は増えた上七軒の茶屋が作った団子が「みたらし団子」の発祥という説もあるが、一方で下鴨神社にある御手洗神社(みたらしじんじゃ)という説もある?しかし西陣の結びつきの花街としての繁栄をいまも極めている。また明治後期の建築だった北野歌舞練場が改修工事を終え、今年は58年振りに繰り上げ杮(こけら)落としを3月25日に行い4月7日まで『北野をどり』を他の花街よりも早く上演している。 舞妓さんはお茶屋を廻る
提灯の“五つ団子”が上七軒の「紋章」になっている上七軒は、京都五花街(祇園、先斗町、祇園東新地、宮川町、島原、上七軒)のうち一番古い歴史を持つ花街で、お茶屋、芸舞妓は舞踊の流派は花柳流で茶道は西方尼寺で習得している。室町時代から続く伝統を大事にしながら新しい方向へ歩みだしている。舞妓さんの何気ないしぐさ
ご好意により舞妓さんが並んでくれた上京区真盛町から社家長屋町に位置する花街で北野天満宮東門から東両側にはお茶屋があり街並みも風情がある。

0 件のコメント: