2011年2月15日火曜日

東山 銀閣寺

左京区にある銀閣寺は、正式名は東山慈照寺(じしょうじ)と言い臨済宗相国寺派の禅寺で山号を東山(とうざん)という。
建立は1482(文明14)年、室町幕府八代将軍・足利義政公である。東山山荘に東山殿を「観音殿(銀閣)」を造った
総門は、意外と質素な感じがする祖父にあたる三代将軍足利義満公の北山殿金閣(鹿苑寺)にならい、隠栖生活を過ごすため、造営中の東山山荘に東山殿を「観音殿(銀閣)」を造ったという。
この観音殿が銀閣寺の発祥である。銀閣寺は俗称であり、義政公の法号慈照院にちなみ、寺名は「東山慈照寺」という。
銀閣寺へは、市バスに乗車して「銀閣寺道」で下車し東へ徒歩で10分、または京阪電車、出町柳駅から今出川通を東に徒歩20分ほどのところである。疎水縁に哲学の道
銀閣寺橋を渡ると両脇には土産物屋哲学の道の北端付近から銀閣寺橋を渡ると両脇には土産物屋が多く軒を並べており観光客が増えて来る。
東山三十六峰の“月待山”を背にして山に抱かれるように建つ銀閣寺は、室町文化の代表的建築物として有名で世界文化遺産に登録されている。総門は、意外と質素な感じがする! 中門へと続く白砂の参道、両脇に設けられた大刈込みの生垣は「銀閣寺垣」
銀閣寺境内図総門をくぐると中門へと続く白砂の参道、両脇に設けられた大刈込みの生垣、長さ約50m、高さ4mほどもある「銀閣寺垣」と呼ばれる竹垣の調和が素晴らしい。
中門の拝観受付に向かう。拝観料500円(障害者100円)を納めて中門をくぐった。中門をくぐった庭
拝観券は案内とお札「銀閣観音殿御守護」で金閣と一諸だった1473年に足利義尚に将軍職を譲り、室町幕府8代将軍足利義政公が、この東山浄土寺、月待山麓・東山殿の造営をはじめた。応仁の乱の影響で景気は好いものでなく、義政公は書画や茶の湯を親しむ暮らしぶりだったという。将軍義政公の邸宅(花の御所)が火事で焼失、不仲だった妻子と別居、工事中である東山殿に移り住んだという。造営工事は、義政公がこの世を去るまで続き、菩提を弔うために「東山殿」から相国寺の末寺として、新たに『慈照寺』として創始されたという。本堂から中門を見る
花頭窓から見た銀紗灘室町時代から現在まで数々の災難をくぐりぬけてきた、銀閣と東求堂を散策してみた。国宝・観音殿(銀閣)は、鹿苑寺の舎利殿(金閣)や西芳寺の瑠璃殿(苔寺)を受け継いだと言われており、観音殿は二層からなり一層の心空殿は書院風、二層の潮音閣は板壁に花頭窓をしつらえて、桟唐戸を設けた唐風仏殿の様式で閣上にある金銅の鳳凰は東に面し、観音菩薩を祀る銀閣を絶えず守り続けている。観音殿と銀紗灘と向月台
銀砂灘(ぎんしゃだん)と向月台は白砂が壇上に敷き詰められて、月の光を反射させて、向月台はこの上に坐って東山に昇る月を待ったものと俗説があるが、先人の独特の発想が語り告げられている。
本堂(方丈)は江戸中期の建造で本尊は釈迦牟尼仏が安置され、正面の額には「東山水上行」を掲げている。内部には江戸期の南宋画家の巨匠、与謝蕪村や池大雅の襖絵を所蔵している。方丈から見る月待山はまさに絶景。
国宝に指定されている東求堂(とうぐうどう)は、 義政公の持仏堂で一層の入母屋造り檜皮葺きの、現存する最古の書院造りで特に付書院と違棚は有名。南面に拭板敷、方二間の仏間が設けられ、北面には六畳と四畳半の二室がある。北面東側の四畳半は、同仁斎とよばれ東山文化を生み出す舞台となり、また草庵茶室の源流、四畳半の間取りの始まりといわれている貴重な遺構。庭園池の大内石と国宝に指定されている東求堂(とうぐうどう) 本堂
通称・銀閣とは、東山殿に造営された観音殿のことで義政公の祖父、室町三代将軍足利義満公の建てた金閣と対比された。初層は住宅風の「心空殿」、上層は禅宗様の仏堂である「潮音閣」など東山文化の代表的な建造物であり和風書院造りにつながる工夫がされている。
庭園の錦鏡池を中心としている「池泉回遊式庭園」はつづき・・・とする。
<銀閣寺>
住  所: 京都市左京区銀閣寺町2 電話:075-771-5725    
拝観時間:8:30~17:00(3月15日-11月30日)
冬期時間:9:00~16:30(12月1日-3月14日)
拝観料金:500円・障害者100円
交  通:市バス 銀閣寺道下車、徒歩10分
     京阪電車 出町柳駅下車 徒歩20分

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