2011年2月17日木曜日

東山 銀閣寺その2

続き・・・通称銀閣寺は観音殿を銀閣と呼び、全体を東山慈照寺というが、対比される金閣寺(鹿苑寺)の舎利殿には金箔が使われているのに対し、慈照寺観音殿には銀箔は使われていない!宝処関総門前の参道
銀箔を貼る予定が、幕府の事情によってできなかったという説や、貼る予定だったが義政公がこの世を去ってしまったためという説があった。
呼び名も江戸時代、通称・銀閣となったもので正式には観音殿という。庭園は国の特別史跡・名勝に指定されている。錦鏡池にある北斗石
銀閣寺形手水鉢室町時代の面影を残すものとして銀閣の前には、錦鏡池(きんきょうち)と呼ばれる池があり珍しい“向月台”と“銀沙灘”と呼ばれる砂盛りもある。
太陽に照らされた銀閣の屋根、月待山から月光に照らされた池の名月を観て、反射する眩い「観音殿」を、“銀閣”と名付けた?開山の夢窓疎石は、西芳寺(苔寺)の庭園を模して造られたという。また江戸末期には慈照寺歴代住持の近衛前久関白の別荘になったこともあるという。現在は、銀閣と本堂は義政公と妻日野富子の位牌も安置されている東求堂のみが残されている。伝統文化を生み出した東求堂
池と白砂に目が奪われる境内の庭園は、池泉回遊式庭園で錦鏡池を中心に向月台に坐って東山に昇る月を待ったものだとか?月の光を反射させるための銀沙灘が本堂、東求堂の周囲にある。洗月泉は硬貨が沈んでいた樹齢500年の槙の大木
境内を一周すると、山々の木々が美しく感じられる。散策すると樹齢500年の「千代の槙」、片隅には「洗月泉」と呼ばれる小さな滝(落水)があるが謂われは不明。推測だが、中心に黒い石があり、投げた硬貨が乗れば“縁起が良い”と思った。500年以上も涸れることなく今でも涌いている足の悪い障害者は無理
境内の中に500年以上も涸れることなく涌きだしている「お茶の井」と呼ばれる庭園がある。お茶の井は、将軍・足利義政公が愛用したもので水質が豊かで現在も飲料水として使用されている。市内一望ができる
帰路、苔むす庭園で・・・
東側にある高台に上ると展望所があり、銀閣寺全景を見渡すことができる。
境内を散策して観ると、銀閣寺は山に囲まれているのが特徴で、出口付近には「観音殿」の偉大さが伝わり、屋根の上には東面した鳳凰が観音菩薩を祀られている。巌冬の二月、苔の庭が黄緑色の空間を敷き摘めている。錦鏡池に写った銀閣屋根の上には東面した鳳凰
義政公が晩年、諸芸の達人を集め東山文化の集いを開き、茶道、華道、能などの伝統文化を生み出したところでもある。出口付近の売店に寄ったが、お香が焚かれ芳しい香りがした。(完)

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