2010年7月3日土曜日

東山 泉涌寺(せんにゅうじ)

泉涌寺は東山区にある真言宗泉涌寺派総本山の寺院である。東山通り「泉涌寺道」バス停で下車し、東へ向かう緩やかな上り坂を登ると総門があり、さらに参道は続いて泉涌寺境内へ入る大門がある。三尊仏がある仏堂、隣は舎利殿緩やかな上り坂を登ると総門
泉涌寺は、東山連峰の月輪山麓に広大な寺院を持ち、歴代皇族のご尊牌を祀り、我が国随一の皇室の香華院(菩提所にあたる)として篤い信仰を集め“御寺(みてら)”として親しまれている。本尊は三世を表す過去・現在・来世、釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三尊仏である。唐門と霊明殿過去・現在・来世を表す釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三尊仏(写真はパンフより)
泉涌寺の起源は824~834(天長年間)年に弘法大師がこの地に庵を結び、法輪寺と名付けられた。(一時仙遊寺と改称された)1218(健保6)年、順徳天皇の時代に当寺の開山と仰ぐ月輪大師が、この地に大伽藍を造営し、寺地の一角より霊泉が涌き出たことにより、寺号を泉涌寺と改めた。
月輪山の山麓に広がる寺域内には、鎌倉時代の後堀河天皇、四条天皇、江戸時代の後水尾天皇以下幕末に至る歴代天皇の陵墓がある。仁和寺、大覚寺などとともに“皇室ゆかりの寺院”として知られるが、草創の時期や事情についてはあまり明らかではない。御座所(天皇の休息所)
大師は若くして仏門に入り、中国の宋に渡り深く仏法の奥義を究められ、帰国後泉涌寺の戒律の復興を計り、天台・真言・禅・浄土の四宗兼学の寺として大いに隆盛させた。
皇室からも深く帰依せられ、1242(仁治3)年、四条天皇が葬られてからは歴代天皇の山稜がこの地で営まれるようになった。以来、泉涌寺が「みてら」と呼称される所以である。
境内は仏殿・舎利殿をはじめ、天智天皇以降の歴代皇族のご尊牌を祀る霊明殿などの伽藍を配し、春の新緑、秋の紅葉には一段とその美しい姿を映えさせている。
泉涌寺の大門は、1596~1614(慶長年間)年に御所の門を移設し、山号の「東山」(とうざん) は掲額されている。大門をくぐり、左手に楊貴妃観音堂は通称・楊貴妃観音がある。
仏殿には運慶作と伝えられている本尊の三尊仏が安置、過去、現在、未来の三世にわたって人類の安泰と幸福を守っている。天井には狩野探幽作の龍の図が描かれている。今も清水が涌いている泉涌水屋形
仏堂の脇に清少納言歌碑泉涌寺の名の由来となった「泉涌水屋形」があり、この泉は今も枯れる事なく涌き続けているという。
仏殿の背後に建つ舎利殿は御所の清涼殿を移築したもので、室町時代の応仁の乱など、諸堂は度々火災に遭っているが、1668(寛文8)年、四代将軍家綱により修復され、大復興された。また皇室ゆかりの霊明殿、御座所などの建築がある。本坊庭園から見る霊明殿
月輪陵舎利殿は、本坊を一番北にして御座所(天皇の休息所)、霊明殿と南北に一列に並んで建っている。また、霊明殿の東側に月輪陵がある。
霊明殿は1884(明治17)年の再建で天智天皇と光仁天皇から昭和天皇に至る歴代天皇皇后の尊牌(位牌)を安置している。また御座所は安政年間(江戸時代末期)に建立されたが、1882(明治15)年、霊明殿、庫裡、書院とともに炎上し1884(明治17)年に明治天皇により再建されている。
女官の間、門跡の間、皇族の間、侍従の間、勅使の間、玉座の間などがあるが玉座の間は、天皇皇后が来寺した際に休息所として使用する部屋である。大門からみる仏堂
玉座の間は、天皇皇后が来寺した際に休息所として使用する部屋(写真はパンフより)海会堂は、土蔵造の仏堂で御所の「黒戸」を移築したもので、歴代天皇及び皇族の念持仏が祀られている。
平安建都1,200年記念や在位20年の報告(2009年)など、この3月に天皇皇后両陛下は泉涌寺を訪れ、この部屋を使用している。“御寺(みてら)”泉涌寺は歴代天皇及び皇族の格式高い寺である。
<泉涌寺>
住   所:京都市東山区泉涌寺山内町27 電話:075-561-1551
拝観時間:9:00~16:30 
拝観料金:大人500円(心照殿(宝物館)入場も含む)・障害者 無料
交   通:京阪/JR「東福寺」駅から徒歩約25分
       市バス「泉涌寺道」下車、徒歩約15分。

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