2010年5月19日水曜日

車折神社 三船祭

車折神社の正面は朱の鳥居を背に東西を通る三条道に面している。北門は京福電鉄、嵐電・四条大宮~嵐山間「車折(くるまざき)」駅を下車、境内参道へと続いている。祭神、清原頼業は平安時代後期の儒学者牛車に神霊が移った
神社の創建は1189(文治5)年、平安時代後期の儒学者で高倉天皇に仕えた清原頼業(きよはらよりなり)の菩提を弔うために、清原家の領地に建立された廟所宝壽院(ほうじゅいん)が前身である。頼業は天武天皇の皇子舎人(とねり)親王の子孫あたり、一族の中には清少納言らの名も見られる。また頼業は生前、殊に桜の木を愛でられ、創建当初より「桜の宮」と呼ばれている桜の名所であったという。大堰川の上流、“神霊”が御座船(ござぶね)渡月橋を渡る牛車と神幸行列車折神社の社名は、後嵯峨天皇が牛車に乗って嵐山の大堰川へ船遊びに行かれるところ、社前で牛車の引棒(轅:ながえ・牛馬車などの前に長く出した二本の棒)が折れた。天皇は非礼を詫び「車折大明神」の神号と正一位をおくられた。以後、車折神社となったという。ところで京都に住む人でも地元の人以外は、“車折”と書いて“くるまざき”と読める人は少ない。ほとんどの人が“くるまおれ?”と自信無さそうに読む。嵐電駅舎には壬生・帷子の辻や太秦など多数ある! 鷁首船(げきすせん)では献茶
竜頭船では踊り奉納ところで、三船祭は5月14日の車折神社の例祭の延長神事で、5月第3日曜日に行われている。 木製の牛もあった
スタート前のリラックスな表情1928(昭和3)年、昭和天皇即位を記念して始められた祭で、遡ること約1100年前、宇多上皇が嵐山の大堰川で舟遊びを楽しんだことにより平安時代の船遊びが再現された。水上に浮かべる船で舞う
今様船車折神社で神事のあと、神幸行列を組み三条通りから渡月橋を渡り、平安時代の装束に身を包み新緑の鮮やかな嵐山・渡月橋へと向かった。
中之島公園の剣先では“神霊”が御座船(ござぶね)に乗り移り、そのあと大堰川の船上で舞楽を奉納、平安時代の貴族の船遊びを再現した。
緑鮮やかな嵐山を背景に、大勢の観光客が見守る中、宮司ら神職が乗った御座船に竜頭船や鷁首船(げきすせん)など約20隻が次々に続き、ゆっくりと優雅に楽しんだ。
各船上では、平安装束の女性が雅楽に合わせて舞ったほか、小唄や謡曲などさまざまな芸能を繰り広げ、献茶が行われた。室町時代から伝えられる「扇流し」
船から扇子を一つずつ川面に浮かべる奉納行事の一つとして、室町時代、お供が川に落とした扇が流れる優美なさまに、将軍が感動したと伝えられる故事にちなむ「扇流し」を披露、和装の女性が、船から扇子を一つずつ川面に浮かべると、ボートの船や観光船の乗客らが扇子をすくい、歓声を上げていた。 船はあちらこちらへ行き舞う
三船祭は大勢の人たちでいっぱいだった三船祭の語源は、白川天皇が行幸されたとき、「和歌」「漢詩」「奏楽」が得意なものを3隻の船に乗せたことから「三船」と呼ばれている。
御座船の前で様々な芸能を奉納し、王朝さながらに優雅な船遊びが繰り広げられた。
優雅な遊びの再現であったが、大堰川の南岸より御座船の北岸からの観覧をお奨めしたい!

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