2010年5月17日月曜日

葵祭 2010

15日、京都三大祭のひとつ葵祭が、王朝絵巻さながら華やかに繰り広げられた。第55代斎王代は十二単姿で腰輿に乗り賀茂街道を通って上賀茂神社へ紫の藤の花房を垂れ下げ、進む牛車平安朝の優雅な古式豊かな葵祭は、平安貴族の装束を身に包み京都御所を出発、総勢500人の行列は下鴨神社を経て上賀茂神社に向かい約2里(8km)の道程を練り歩いた。検非違使の役人「火長」
祭りの主役である勅使代祭りのヒロイン、第55代斎王代は十二単姿で腰輿(およよ)に乗り、みやびやかな宮廷装束に身を包み、初夏の日差しのもと脚光を浴びた。大勢の観光客らが見守るなか、王朝絵巻さながらのみやびな祭りは行われた。行列を先導する乗尻
検非違使志葵祭の起源は、今から約1400年前で正式には賀茂祭と云われていた。「賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨神社)」と「賀茂別雷(かもわけいかずち)神社(上賀茂神社)」の例祭で、平安時代のころ宮廷貴族の間では“まつり”といえば賀茂祭が有名で、歴史を物語る優雅な伝統祭事である。藤の輪をしてる騎(むなのり)女、ナイスショット!
内侍の女官行列の装束や社殿に「フタバアオイ」を飾ることから“葵祭”といわれるようになった。葵のマークと思ったら上に「フタバアオイ」があった
カメラを構えたら、微笑んでくれた!さまざまな前儀があり、3日の流鏑馬神事(やぶさめしんじ)が有名、また斉王代の「御禊の儀」もある。道中の行列を「路頭の儀」と呼び、「社頭の儀」は、勅使が祭文を奏上し幣物を奉納。みやびな雰囲気のなかで、神馬の引き回し、舞人による「あずまあそび」の舞が披露される。風流傘と陪従
打袴を装い花傘をさしかける命婦(みょうぶ)10:30、初夏の日差しの中、フタバアオイの葉を頭や胸に飾った男女と、フジの花をつけた牛車や馬など約40頭が午前本列(近衛使(このえづかい)代列)が京都御所・建礼門をスタート、「御所車」と呼ばれる牛車(ぎっしゃ)の車輪が玉砂利をきしませて進んだ。いろいろの役目のある方たち
警衛のための山城使女官が先導する斎王代列(女人列)が続き、斎王代が乗った腰輿(およよ)が近づくと、京都御所に集まった大勢の観光客からひときわ大きな拍手があがった。
十二単(ひとえ)に身を包み、フタバアオイと金銀の金具で髪を飾った斉王代を見つめる観客からはため息がもれた。ところで、主役は斎王代と思われているが、天皇の使者として赴く者として祭りの主役は勅使代である。めのわらめとも云われた少女で衵(あこめ)に張袴をつけている
初夏の日差しが暖かい長さ約1㎞におよぶ行列は、下鴨神社を経由し、賀茂街道を通って御薗橋を渡り、上賀茂神社までの約8㎞の行程をゆっくりと進んだ。沿道を埋め尽くした観客からは写真撮影や歓声がわいた。京都御所や両神社の有料拝観席もよいが、華麗な王朝絵巻、カメラ愛好家なら真近で撮影できる賀茂川沿いがよい!行列は賀茂街道を通って御薗橋を渡り上賀茂神社に着く
斉王代、平成生まれの20歳祇園祭・時代祭とともに“京都三大祭り”の一つ「葵祭」、あでやかな平安装束をまとった行列は1400年の歴史を今も脈々と続いている。

0 件のコメント: