2010年5月7日金曜日

藤森神社 藤森祭・駆馬神事

藤森神社の藤森祭は別名「深草祭」とも呼ばれ、駆馬(かけうま)神事や武者行列、神楽奉納が行われた。逆立ち(杉立ち)もっとも危険な技藤森祭は別名「深草祭」とも呼ばれ、駆馬神事や武者行列・神輿の行列があった
平安遷都以前に建立された古社で、スサノオノミコト、神功皇后、日本武尊など十二柱の神々を祀り、軍旗や武具をこの地に埋め、神まつりしたのが始まりと伝えられ洛南深草の産土神、勝運・馬の社として崇敬されている。
特に、駆馬や馬の武運・勝負事の神社として信仰を集めた。駆馬には若い乗子たちが活躍してる境内の馬場を清める神主と巫女が注意の看板書
毎年五月五日に行われる藤森祭では“曲乗り”の妙技で有名な「駆馬神事」が行われる。勝運と馬の神社として信仰が厚く、駆馬の乗子たちも全国から集まっている。古来、藤森祭は「菖蒲の節句」発祥の神社として知られ、氏子の可愛い男児たちも見られ“菖蒲”が“勝負”に通じることから勝運や武運あやかるという。矢の中を駆け抜ける手綱くぐり緑と朱と紺色の房をつけた三頭の馬が順番に走る
日本最初の学者である「舎人親王」を祀ることから学問、特に受験での勝運をもたらす神社とされて来た。同時に駆馬神事は伝統行事であり駆馬は観客は基より、人馬一体にならなければ危険が伴うため、本殿に一同参列し御祓いを受けた。
頭につけたものはなんだろう?敵の矢に当たって落馬したと見せかける「藤下がり」
5日13:00と15:00の2回、同祭りのメインイベントである駆馬神事が勇壮に行われた。室町期から御所警備の武士などが馬術を同社前に奉納したもので、明治になって氏子に引き継がれ、1200年の歴史と伝統を受け継いでいる。
境内の200m足らずの参道を、馬場替りにして行う駆馬神事は疾風の如く馬は駆け抜ける!!何度も写真撮影を挑戦、試みるが馬は通り過ぎていた!刀を持って手綱潜りする
前方より後方へ情報を送って駈ける技で「一字書」駈馬神事は、戦場での馬術を再現した曲乗りで、敵の矢に当たって落馬したと見せかける「藤下がり」をはじめ、降りそそぐ矢の中を駆け抜ける「手綱くぐり」や「逆乗り(敵の動静を見ながら、駈ける技)」、「矢払い(敵矢を打払いながら、駈ける技)」、「横乗り(敵に姿を隠して、駈ける技)」、「杉立ちはもっとも危険な技で逆(さか)立ちともいう(敵を嘲りながら、駈ける技)」、「一字書きは、前線より後方へ情報を送りながら、筆で駈ける馬から一文字を書く技」で、馬で駆け抜けながら繰り広げられる七種類、馬上のスリリングな妙技が披露された。見事、スリル満点の乗子役が妙技を魅せると場内の観客席からは大きな拍手がおくられていた。 乗子がいなくなった!
敵の動静を見ながら駈ける技で「逆乗り(地藏)」駆馬には若い乗子役たちが活躍して、見事な曲乗りが演じられ頼もしく思えた。
この駆馬神事は当神社の祭神である早良(さわら)親王や神宮皇后の東征などの伝説に由来している。それより先に武者行列と神輿三基は神社をでて氏子圏を巡行、伏見稲荷大社で神饌御供(しんせんごく)を受けた。
本殿東の神宮皇后が旗を埋められた旗塚・蒙古塚など、また手水舎の水鉢の台石は宇治浮島にある十三重の塔の上から五番目の石を石川五右衛門が持ってきたものと言われており、現在十三重の塔を見るとその部分だけ石の色が違うという。 わずか100mの参道で行われる駆馬神事
静寂な藤森神社だが五月五日は超満員の参拝者だった6月から7月にかけて紫陽花園が公開され3,500株にもおよぶ「紫陽花の宮」とも呼ばれている。現在は馬と勝負事の神社として競馬関係者や競馬ファンにとってなじみの神社だが、見どころは豊富ある。
近隣には大学の豊かな樹木群が連なっており、日ごろは静寂な藤森神社だが、しかし五月五日は超満員の参拝者だった。
<藤森神社>
住所:京都市伏見区深草鳥居崎町609 TEL:075-641-1045
参拝:境内自由:無料:宝物館9:30~16:00(有料)
交通:京阪電車墨染下車徒歩7分、市バス藤森神社前下車、JR藤森下車徒歩5分
  ・3,500株の「あじさい園(6月上旬~約1ヶ月間)」公開8:00~16:00
   入苑料必要(300円)

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