2009年5月2日土曜日

名園 無鄰菴

潜り戸か中へ
名勝「無鄰菴」山県有朋の元別荘
新緑清々しい左京区岡崎の無鄰菴(むりんあん)に行った。
無鄰菴は明治29(1896)年に山県有朋によって造営された別荘だ。
その名は、有明が長州(山口県)に建てた草庵が隣家のない閑静な場所であったことから名付けられたという。
母屋の縁側に座って観る風景は水の音だけだ1,000坪ほどの面積をもつ庭は、東山を借景にした池泉回遊式庭園で疎水の水を取り入れ、三段の滝から流れ落ちる水は池をつくり、また池からせせらぎとなって流れている!


母屋の縁側に座って木々に囲まれ、芝生とせせらぎ、低くおされられた最小限に配置された護岸石組みは、遠くに見える東山の方に自然に目をむけされる様に意図されている。
ここに座っていると、塀のすぐそばを通っている南禅寺に向かうバスや車の音がまったく聞こえず、静寂の中つい居眠りをしてしまう至福のひとときを過ごせる。何時間でも庭を観ていたいとおもった!
遠くに見える借景、東山を望み閑静なところお庭を散策、石橋を渡ると左側の飛び石の上に関守石(せきもりいし)がかわいく置かれている。この石は「これより先はいけませんよ」という印。
右の道を行くと母屋からは見えなかった池が見えてくる!疎水からの水、三段の滝
この位置から振りかえるとまた違ったおもむきが・・・沢渡の石を渡りしばらく行くと三段の滝から勢いよく水が流れ落ちている。この位置から母屋の方を振り返ってみるとまた違ったおもむきの庭が出現する。
回遊式庭園のよいところは、歩く毎にその景色が変化し様々な趣向が庭や観る人を生き生きと見ごたえあるものと感じさせてくれる・・・
この庭は山県有朋の設計・監督だが、作庭したのは七代目小川治兵衛。江戸時代中期より代々続く植木屋治兵衛。通称「植治」と呼ばれていた。
七代目治兵衛は、無鄰菴の他に平安神宮神苑・清風荘・對龍山荘・洛翠など数多くの庭をてがけた。煉瓦造二階建ての洋館
茶室建物は三つあり、木造二階建ての母屋、藪内流燕庵を模して造られた茶室及び煉瓦造二階建ての洋館。洋館は明治31年5月の建立である。
二階には江戸時代初期の狩野派による金碧花鳥図障壁画で飾られていた。ここで明治36(1903)年4月21日、元老・山県有朋、政友会総裁・伊藤博文、総理大臣・桂太郎、外務大臣・小村寿太郎の4人によって日露開戦直前の日本の外交方針を決める「無鄰菴会議」が開かれたという。花鳥文様の格天井
狩野派による金碧花鳥図障壁画と椅子、テーブルなどこの部屋には、今日でも花鳥文様の格天井、椅子、テーブルなどの家具が残り、当時の趣を伝えている。大正11(1922)年83歳で山県有朋亡くなったが、多忙な公的生活の少しの合間にも夫人を伴ってしばしば訪れていたという。長州の元老”山県有朋”
その後、無鄰菴は昭和16(1941)年に京都市に寄贈され、同26(1951)年には、庭園が明治時代の名園として、国の「名勝」に指定されている。
開園時間:午前9:00~午後5:00
休 園 日:12月29日~1月3日
入 園 料:一人400円(小学生未満無料)
障害者無料(障害者手帳提示)

なお、無鄰菴室内で「お抹茶サービス(300円)」もある!

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