正門はおよそ寺のと言う感覚ではなく長屋門で武家屋敷の形態という。秀吉の没後、妻北政所ねねは、ここ東山で波乱の人生を送った終焉の地である。1605(慶長10)年、秀吉との思いで深い伏見城の化粧御殿とその前庭を山内に移築し住んだところ、「ねね」は76歳で没まで19年間この地で余生を送った。
南庭は白川砂、雲母(石英)でガラス状にキラキラ煌く枯山水という。また襖絵は長谷川等伯のデビュー作「冬の絵(国重要文化財指定)」で桐紋襖の上に描かれ非常に珍しいものである。襖絵は桃山文化の絢爛さを伝えている。京都画壇・赤松燎画伯の遺作「白龍」や数々の障壁画など見所満載である。
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