2016年1月11日月曜日

京都伏見 金札宮の寶惠駕籠

10日、京都伏見、金札宮(きんさつぐう)‘えびす神’の寶惠駕籠巡行が行われ、境内にあるえびす神の祭礼は12時から神前で儀式が執り行われた。金札宮の由来は750(勝宝2)年ごろにこの地域に大異変があり、孝謙天皇が深く憂慮されていたという。 
伏見に宮居建設中、突然“金の札”が降り、札には「永く伏見に住んで国土を守らん」と書いてあったという。
住民の人々が集まって来るうちに天‘空’から声がして、『我こそは天照大神より遣わされた天太玉命なり、我を拝まんとすれば、なお瑞垣を作るべし』と、聞こえた。
天皇に奏上したところ、ことのほか喜ばれ「金札白菊大明神」の宸翰を与えられ、人々は力を合わせて社殿を造営したという。
舞妓さんの富久春さんも最後に金札宮の鳥居前を出発した。
伏見で最も古い社の一つ“産土神”として崇敬され、お金がヒラヒラ天から舞い落ちる金札宮?耳を疑るような神社は伏見区鷹匠町八番地にある。
喜運寺(きうんじ)が創建されたが、金札宮はその鎮守杜として移転し明治の神仏分離で社は独立し現在に至っている。
寶惠駕籠巡行の一向は、人並みが多い大手筋へと向い、笹をどうぞと差出す可愛い子さん、無料で福笹を授与された。
寺田屋で舞妓さんの富久春さんを記念撮影した。
江戸時代、淀川三十石船の船着き場前に着き、寶惠駕籠巡行の6名(芸妓役2名・子供3名と舞妓1名(本物))が寺田屋で記念撮影した。
休憩を重ねながら約3㌔の道中の氏子区域を回った。
先頭は巫女2名とお面を被ったえびす神、「ホエカゴ!」「ホエカゴ!」と威勢よく区内の氏子地域のメインストリートに練り歩いた。

最後の休憩所は「キンシ正宗酒造会社」で、手打ち式だった。
萩で名高い勝念寺前を通る寶惠駕籠一向たち。
午後4時、宮司が待つ金札宮へ、舞妓さんの富久春さん、その他方々長時間、お疲れさんでした。(1/11撮影)

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