2010年11月27日土曜日

東山 西行庵

つづく・・・イチョウの黄金色の葉が風に吹かれて舞い散る・・・西隣の芭蕉庵から西行庵を訪ねた。円山音楽堂の南側にある西行庵の門をくぐった。母屋「浄妙庵」
樹齢何百年のイチョウの木だろう?西行法師は、平安時代末期の僧侶で1118(元永元)年~1190(建久元)年であり、新古今和歌集の代表的歌人の一人でもある。
もと鳥羽上皇の北面の武士であったが、1140(保延6)年に出家し諸国を行脚(あんぎゃ)して風光明媚な自然を愛で和歌を詠んだ。
この地は、彼が「蔡華園院(西行草庵)」を営んだところと伝えられている。入口にあった紅葉
奥にある西行堂その後荒廃していたが、1893(明治26)年に、富岡鉄斎が勧進文を書き、庵主小文法師が浄財を募り、当時の内貴京都市長らの尽力により再建されて現在に至った。
茅葺の母屋は、大徳寺塔頭真珠庵の別院を移したものであり、母屋「浄妙庵」と茶室「皆如庵」からなっている。また皆如庵は北野の久我別邸より移された桃山時代の名席で、円窓床と「道安囲」が有名である。西行堂の前の石仏
中から入口をみる正面の西行堂には歌僧西行法師、和歌四天王の一人・頓阿(とんあ)上人、冷泉為村、小文法師の四人の木像が安置されている。  
毎年三月中旬には、皆如庵で西行忌茶会が行なわれる。  
願はくは 花の下にて 春死なむ  その如月の 望月の頃  西行(山家集)
平安末期の歌人西行が結んだ庵で母屋と廊下で結ばれた茶室。
皆如庵は桃山時代を代表する名席で拝観できるほか、お点前もうけられる。
(完)

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