2010年10月11日月曜日

洛南 羅城門跡と西寺跡

今は不朽の業績、モニュメントだけ!羅城門跡は、南区九条通千本東にあって、京の都を貫く朱雀(すざく)大路の表玄関として、幅約35m、奥行約9m、高さ約21mの丹塗りの二重楼閣で、794年(延暦13)の平安遷都の際に建造されたという。
816(弘仁7)年、大風で倒壊し再建されるが、980(天元3)年、暴風雨の為またしても倒壊、以後再建されず、その後平安京の衰退とともに荒廃した。九条通り北側、矢取地蔵堂の横に「羅生門跡」という標識が立っている
羅城門は二度の台風で倒壊し以後再建されなかった現在、東寺に所蔵する木造「兜跋毘沙門天像(国宝)」や「三彩鬼瓦(重文」は羅城門上に安置されていたものと伝えられている。
現在は九条通の北側にある矢取地蔵堂の裏の公園内に「羅生門遺跡」という石碑が立っている。この石標は1895 (明治28)年、平安遷都千百年記念祭の事業として建立された。
東寺並んで西寺もあった一方、 西寺は796(延暦15)年頃、都が遷都されてから平安京の入口にあたる羅城門の西側に東寺(教王護国寺)と対称に造営された寺である。
建立されたころの西寺は、金堂、講堂、南大門、中門、五重塔、僧房、食堂など建ち並び、金堂・講堂の屋根は緑釉瓦(りょくゆうかわら)で葺かれ、寺の域は東西二町(250m)南北四町(510m)を有し、威風堂々聳え建っていた。
しかし、西寺は1233(天福元)年、塔が焼失後、以降再興されることなく地中に埋もれてしまって、今は唐橋の西寺児童公園の小高い丘に講堂礎石一つと「史跡西寺跡」の石碑が立つのみで遺跡は地下に残されている。主要伽藍は現在の唐橋小学校と西寺児童公園中央の下に、講堂跡が土塁として残っている。東の東寺と並んで西寺の伽藍は建っていた
西寺は地中深く埋もれている伽藍中心部は国の史跡に指定され、平安京の寺院研究上、また平安京を復元する際には東寺とともに貴重で重要な遺構である。羅生門の遺跡は度重なる倒壊とそれら礎石や門石を藤原道長が法成寺建立に際し、持出し、発掘の際には殆ど遺構がみつからなかったそうだ。羅城門は京都の表玄関として、東寺と西寺、両輪の寺があったらばと・・・ふと、ノスタルジックに想いを馳せた。矢取地蔵堂へつづく・・・
<羅城門跡&西寺跡>
場 所:京都市南区唐橋
交 通:市バス羅城門下車直ぐ
    西寺跡、市バス西寺下車徒歩2分

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