2009年2月3日火曜日

京都 壬生寺「節分会」

本堂前「護摩焚き」を見る人たち
壬生寺で節分会
穏やかな春の日、中京区の壬生寺で2日節分会が行われた。
気温は10℃以上の暖かさになり善男善女は福を授かろうと参拝していた。
ここ壬生さんは、私が故郷を離れ京都で伝統産業“友禅染め”の住込み就職をしたところ、いわば第二の故郷だ!
本堂は律宗の本山、正暦2年(991)園城寺(三井寺)の快賢僧都によって創建、古い名を地蔵院、宝憧三昧寺、心浄光院と云われていたと言う。 南門と千体仏塔(お地蔵さん)
素焼きの炮烙(ほうらく)本尊は延命地蔵菩薩(お地蔵さん)で親しまれていて古来より厄除・開運の寺として庶民の信仰を集めていた。
昭和37年(1962)本堂を全焼し本尊地蔵菩薩像を含む多数の寺宝を失った。
しかし新しい本尊延命地蔵菩薩立像(重要文化財)が、律宗 総本山唐招提寺から移されて、昭和45年(1970)に本堂の落慶法要が行われた。
五仏錫杖頭(重要文化財)や列仙図屏風(長谷川等伯筆・重要文化財)、室町時代の作を含む190点の狂言の仮面など、700年の伝統を持つ壬生狂言(重要無形民俗文化財)は絶えることなく行われている。
表門は寛政11年(1799)の再建で壬生寺の正門である。
右に阿弥陀堂は平成14年(2002)の再建で新しい。この阿弥陀堂の奥に、壬生塚(新選組隊士墓所)がある。
中院は唯一残こる塔頭であり、現在の御堂は文政12年(1829)の再建である。
本尊の十一面観音菩薩(鎌倉時代作)は福寿無量のご利益があり健康長寿な観音さまである。 水掛地蔵、一つの願いが叶う
狂言堂では、壬生狂言「節分」弁天堂は本尊の秘佛・辧財天、清水寺の延命院より移された。
鐘楼は嘉永4年(1851)の再建、梵鐘は嘉永元年(1848)に鋳造されたという。
水掛不動さんで名高い地蔵菩薩(石仏)は江戸時代中期の作。「水掛地蔵」と呼ばれ水を掛けて祈ると、一つの願いが叶うと信じられている。
南門には、千体仏塔(お地蔵さん)がある。平成元年(1988)に建立された。
この塔の石仏は明治時代、京都市の区画整理の際に各地から集められたもの、室町時代からの阿弥陀如来像や地蔵菩薩像など丁度1000体が、ミャンマーのパゴダに似て円錐形に安置されている。
大念仏堂は(重要文化財)安政3年(1856)の再建で 狂言堂とも呼ばれ、この建物の2階部分で 壬生狂言が演じられる。本舞台、橋掛かり以外に能舞台には見られない「飛び込み」や「獣台」などの特異な 構造をもつ建物である。 本堂と太陽
煙が竜に変心したかのように本堂前では、「護摩焚き」を見る人が輪を作る!
今年の恵方詣を司る山伏たちが「東北東」に矢を射る様を、古式豊かな儀式が執り行われた。そして、いよいよ「護摩焚き」に火が入られた!
もの凄い猛煙!さながら、煙が竜に変心したかのように思えた…何回となく節分には訪れてはいるが始めての体験であった。護摩木を焚いて厄除け開運祈願聖護院山伏衆
ガンデンデンのはやしでユーモラスに演じる壬生狂言。
大念仏堂の狂言堂では、壬生狂言「節分」が披露される。拝観は無料。
4月21日から29日には上演されるが「炮烙割」はことごとく割られる。当寺にしか見られない珍しい風習である。
社会福祉事業の一環として、境内には、保育園「壬生寺保育園」や特別養護老人ホーム「壬生老人ホーム」有料老人ホーム「ウエルエイジみぶ」が開設されている。狂言堂前の観覧席細い沿道には露店が「いわし」を売る細い沿道や境内には露店がビッシリと並び、「いわし」を売る威勢の良いかけ声が飛び交っていた。
いろいろ壬生さんの境内の配置は変化している!
思い起こせば半世紀…当時、辛かったことなど壬生さんは癒してくれた思い出もあるのだ…懐かしさが倍増した!
福は内、鬼は外!!!