京都三大祭のトップ、葵祭は華やかな平安王朝絵巻に繰り広げられ、平安時代の華やかな装束を身に着けた約500人の行列が鮮やかな新緑眩しい都大路を練り歩いた。前半と後半に分けてお届けしたい。
行列は御所の建礼門前を午前10時半ごろ出発、下鴨神社に立ち寄り加茂街道を経て上賀茂神社に向う約2里(8km)の道程で、沿道に詰めかけた観光客や市民等は華麗な王朝絵巻にうっとりと見入っていた。
葵祭と言われるようになったのは、元禄7年江戸時代頃で、「フタバアオイ」は毎年御所に納められる。右、検非違使尉(けびいしのじょう)。
祭の起源は今から約1400年前で、正式には“賀茂祭”と云われ、特徴は平安時代以来、国家的な行事として数少ない優雅な王朝風俗のまつりであるという。
童女(わらわめ)。
葵祭は、上賀茂・下鴨両神社の例祭で、「賀茂祭」が「葵祭」と言われるようになった。
走馬(そうめ)と童女(わらわめ)。
あフジの花房で飾られた牛車(ぎっしゃ)、玉砂利の音の軋(きし)む中、紅色の水干(すいかん)姿の牛童が綱を引く、御所車に雅やかな王朝の風景である。
馬にお面かぶせて歩く、近衛使代。
舞人と風流傘。
当日(15日)は御所の建礼門前で内裏殿宸の御簾(みす)や御所車、勅使、供奉の衣冠、牛馬のすべて『葵』の葉で飾ることから“葵祭”といわれるようになったという。
フタバアオイの葉を頭や胸に飾った華やかな平安王朝絵巻の約1kmの行列は、静粛に淡々とつづいた。葵祭後半、女人列につづく・・・(5/15撮影)
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