2014年4月24日木曜日

神幸祭 松尾大社

20日、西京区松尾大社では鮮やかな黄金色のヤマブキ満開と重なって春祭りの神幸(おいで)祭が営まれた。平安時代の貞観年間から“川渡しの御船”で、五穀豊穣や家内安全を願ったもので千年の歴史を刻むという。
松尾七社は、本殿の御分霊を受ける。
松尾大社は、秦一族の氏神として祀られたのが始まりと伝わる。 松尾大社は平安遷都以前からの神社で、秦一族の氏神として祀られたのが始まりと伝わる。
それぞれの神輿が準備していた。巫女さんの神楽舞。秦忌寸都理(はたのいみきとり)が701(大宝元)年に松尾山頂に一族の氏神として社殿を建立、秦氏が神職を受け継いできたのが起りとされている。 
法被を着た威勢の良い與丁(よちょう)たち。
カチャカチャと鳴る神輿の鳴鐶(なりかん)。法被を着た威勢の良い與丁(よちょう)たちは総門の石段を登り、神輿の鳴鐶(なりかん)を手に拝殿に向った。
ボクも神輿を担ぐぞ!!平安期は賀茂社と並び王城守護の社として大切にされ東の「賀茂の厳神」、西の「松尾の猛霊」と称され弟の秦伊呂具(はたのいろぐ)は711(和銅4)年、伏見稲荷大社を建立している。
本殿前で拝殿三周してから総門から外に出た。
おう~と叫んで神輿に神様が移った!祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の2座で、大山咋神は上賀茂社、賀茂別雷神の父神である。
満開のヤマブキをバックに神輿が三回拝殿廻しをして、楼門の外に出た。
危ない危ない・・・右側が沈んできたがなんとか持ちこたえた!おっとっと右側が傾いた、石段があるがスムースに通り抜けた!こちらはお宮参り?お祭で縁起が良いお子さんたちだと思った。
與丁たちは担ぎ上げをし、観衆の拍手喝采を浴びていた。
威勢の良い與丁たちは二の鳥居に無事担ぎ終えた。赤鳥居の上部には榊の小枝を束ねたものが数多く垂れ下がっているが「脇勧請」と言って、月々の農作物の出来具合を占った太古の風俗を今に伝えている。
神輿は力強い與丁たちに支えられて台車に乗った。境内の亀の井の水は酒の元水に混ぜると酒が腐らないという伝えがあり酒造・醸造業者が酒水に混ぜる風習が生まれたという。
松尾大社を後に、これから桂大橋、船渡御に出た。
松尾七社は、本殿の御分霊を受け唐櫃一基と神輿六基が出発した。松尾七社は、本殿の御分霊を受けて拝殿廻し(三回周回)後、月読社の唐櫃一基と六基の神輿が出発、神輿はヤマブキ色の輝いていた。桂、大橋船渡御つづく・・・

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