社伝によると長浜八幡宮は1069(延久元)年、源義家の要請により後三条天皇が命じて石清水八幡宮を分祀勧請したといわれている。
秀吉公が合戦の凱旋の様子をあらわした「太刀渡り」を町年寄十人衆に行わせたのが八幡宮の祭礼の始まりと記されている。その後、男子誕生の祝いに町人へ若干の砂金を贈り、これを原資に町人たちが曳山を造営し、八幡宮の祭礼に曳いたのが「長浜曳山まつり」の始まりといわれている。
八幡宮では子ども歌舞伎の開演を祝う寿式三番叟の奉納が午前10時から9歳の子が三番叟の舞踊を祝った。
湖北の春を彩る曳山まつりは豪華絢爛な山車は“動く美術館”ともいわれ、 13基ある舞台付き曳山で毎年八幡宮で、それぞれ4基が順に子ども歌舞伎を奉納し、市街地に繰り出し夜まで上演される。
今年の一番山は青海山(北町組)の演目は『恋女房染分手綱 重の井子別れ(こいにょうぼうそめわけたづな しげのいこわかれ)』、大名家に嫁ぐ姫とその乳母、実の子との悲しい別れを披露した。
そのクライマックスを彩るのが「子ども歌舞伎」5歳から12歳まで男子が衣装に身を包み美しさと艶やかさと名演技にうっとりと見とれた。
小声で太刀の寸尺いうが、また抜け目なくスリが太刀を奪い盗る、狂言の見所にもなっている。
小さな役者の名演技に熱い歓声が飛び交うなか、観衆たちは惜しみない拍手を送っていた。
祭は9日から始まり、12日までの4日間は裸参りや13日早朝御幣迎えの社参儀式が行われ午後からは出番山の籤取り式に臨んだ。
長浜曳山まつりの最大の見どころは小学生たちによる歌舞伎、各曳山組の5歳から12歳の男の子が役者となり2ヶ月も稽古を続けるという。
最後の四番山は諌皷山(御堂前組)、『喜 有 福 満 祭 提 灯(よろび ありや ふく みつるまつり ちょうちん)』あらずじは、提灯屋と大金持ちのコミカルな芸を披露してくれた。
曳山の舞台で武者役や女形が姿を見せ演じて見栄を切ると、観客は「待ってました・・・」や「泣かせます・・・」の声が飛び、あっぱれ子ども役者に酔いしれていた。
子どもたちは、長い昔言葉の台詞も流暢にこなして見物人からは拍手喝采を受けていた。
夜13日から4日間上演され、堂々とした中に可憐さを秘めた大人顔負けの熱演は観客の拍手喝采を浴びていた。豊公園の長浜城へ・・・。(4/15撮影)
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