そのクライマックスを彩るのが「子ども歌舞伎」5歳から12歳まで男子が衣装に身を包み美しさと艶やかさと名演技にうっとりと見とれた。
2014年4月18日金曜日
長浜曳山まつり
日本三大山車祭りのひとつで15日、長浜曳山まつり(重要無形民族文化財)のハイライトを迎えた。 毎年4月に長浜八幡宮を中心に行われる祭りで秀吉公が長浜を治めたときから始まったという。
社伝によると長浜八幡宮は1069(延久元)年、源義家の要請により後三条天皇が命じて石清水八幡宮を分祀勧請したといわれている。
秀吉公が合戦の凱旋の様子をあらわした「太刀渡り」を町年寄十人衆に行わせたのが八幡宮の祭礼の始まりと記されている。その後、男子誕生の祝いに町人へ若干の砂金を贈り、これを原資に町人たちが曳山を造営し、八幡宮の祭礼に曳いたのが「長浜曳山まつり」の始まりといわれている。
八幡宮では子ども歌舞伎の開演を祝う寿式三番叟の奉納が午前10時から9歳の子が三番叟の舞踊を祝った。
湖北の春を彩る曳山まつりは豪華絢爛な山車は“動く美術館”ともいわれ、 13基ある舞台付き曳山で毎年八幡宮で、それぞれ4基が順に子ども歌舞伎を奉納し、市街地に繰り出し夜まで上演される。
今年の一番山は青海山(北町組)の演目は『恋女房染分手綱 重の井子別れ(こいにょうぼうそめわけたづな しげのいこわかれ)』、大名家に嫁ぐ姫とその乳母、実の子との悲しい別れを披露した。


そのクライマックスを彩るのが「子ども歌舞伎」5歳から12歳まで男子が衣装に身を包み美しさと艶やかさと名演技にうっとりと見とれた。
小声で太刀の寸尺いうが、また抜け目なくスリが太刀を奪い盗る、狂言の見所にもなっている。
小さな役者の名演技に熱い歓声が飛び交うなか、観衆たちは惜しみない拍手を送っていた。
三番山は『碁盤太平記 山科閑居 大石妻子別れ(ごばんたいへいき やましなかんきょ おおいしさいしわかれ)』を演ずるのは月宮殿(田町組)の大石内蔵助、仇討ちの時が来たと、妻子に別れを告げ、夜半の鐘を聞きながら旅立っていくという物語。
祭は9日から始まり、12日までの4日間は裸参りや13日早朝御幣迎えの社参儀式が行われ午後からは出番山の籤取り式に臨んだ。
長浜曳山まつりの最大の見どころは小学生たちによる歌舞伎、各曳山組の5歳から12歳の男の子が役者となり2ヶ月も稽古を続けるという。
最後の四番山は諌皷山(御堂前組)、『喜 有 福 満 祭 提 灯(よろび ありや ふく みつるまつり ちょうちん)』あらずじは、提灯屋と大金持ちのコミカルな芸を披露してくれた。
長浜に属する各町と、七郷と呼ばれる隣接集落が参加、13基の曳山があり、そのうちの12基(鳳凰山、高砂山、猩々丸、壽山、翁山、常磐山、萬歳楼、孔雀山、青海山、月宮殿、諫皷山、春日山)が子ども歌舞伎をおこない、毎年4基ずつ交代で巡行する。
曳山の舞台で武者役や女形が姿を見せ演じて見栄を切ると、観客は「待ってました・・・」や「泣かせます・・・」の声が飛び、あっぱれ子ども役者に酔いしれていた。
子どもたちは、長い昔言葉の台詞も流暢にこなして見物人からは拍手喝采を受けていた。
夜13日から4日間上演され、堂々とした中に可憐さを秘めた大人顔負けの熱演は観客の拍手喝采を浴びていた。豊公園の長浜城へ・・・。(4/15撮影)
そのクライマックスを彩るのが「子ども歌舞伎」5歳から12歳まで男子が衣装に身を包み美しさと艶やかさと名演技にうっとりと見とれた。
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