左京区比叡山の山裾に造られた修学院離宮に1年ぶりで3度目の参観した。ことしは春の底冷えで桜が10日間も遅れまにあった。洛北に造られた修学院離宮は1655(承応4)年、後水尾上皇(ごみずのじょうこう)によって造営され、4年の歳月で完成した山荘である。
その山麓には既に円照寺が建っていて皇女梅宮が得度し草庵を営んでいたが、上皇はこの地を別荘と選び、円照寺を奈良に移して工事に着手、大規模な山荘建設を成しえた。
離宮は上・中・下の三つからなり、上離宮は背後の山は借景、三つの離宮を連絡する松並木の道、両側に広がる田畑は総面積54万5千㎡の雄大な離宮である。 随一門を潜ったのは御幸門、下離宮へと足を踏み入れ、中門を潜ると眼前に庭園がひらけてくる。
中離宮の門の左手の石段を進むと真新しい中門、「壽月観」の御輿寄の玄関である。
後水尾上皇の扁額「壽月観(宸筆)」など池泉観賞式庭園である。
客殿は、1678(延宝6)年、東福門院没後(後水尾天皇女御、徳川2代将軍秀忠娘)、1682(天和2)年、光子(てるこ)内親王のために女院御所の奥対面所を移築したものである。
客殿は楽只軒(らくしけん)の小高い東南に階段でつながれた処である。 一ノ間の必見は霞棚、桂離宮の桂棚、醍醐寺三宝院の醍醐棚とともに「天下三棚」の一として知られている。
続いて楽只軒、皇女・光子内親王の朱宮御所の建物で、その後、林丘寺(りんきゅうじ)という寺に改められた。
林丘寺境内の約半分、楽只軒と客殿が宮内省(1885(明治18))年に返され離宮の一部となったが林丘寺は門跡尼寺として今も存続している。
上離宮の御成門を入ると急な石段で息も弾み、離宮内の最高所、質素な茶室「隣雲亭」が建っている。上皇は登山?が好きだったと思われていると話した。
ここからの眺めが美しく眼下は洛北の山々が見渡せる。左手は洛中の街並みが見え、京都タワーより少し高いといっていた。
雄滝から落ちる水音が隣雲亭に響き渡った。水音がいかに効果的な音響を作り出すのかを知りつくした巧みな演出で、上皇は幕府に対し真の王者は自分であると、錯覚を客人に抱かせ、無言のうちに招いた客人に訴えて見せた。
上離宮から下り中国風の千歳橋を正面に見て「楓橋」を渡り中島の頂上に宝形造りの茶屋、 窮邃亭(きゅうすいてい)がある。
文政年間に修復があったが創建当時のまま残る唯一の建築である。
龍が水浴びしている様子の島が浮かぶという巨大な人工池・浴龍池(よくりゅうち)は、近くを流れる音羽川から引いた谷川で、池の水源となるにダムを造った。その当時は全く重機など無い時代である!
ダムの堤は四段の石垣で土留され、その斜面には、約40種類の常緑樹を植え込んだ『大刈込』で覆われ、周囲の自然の風景に溶け込んでいる。大刈込の上は、西浜と呼ばれる水辺の畔の静かな散策道である。
楓橋や土橋は上皇は造った橋で中国風の千歳橋は幕府という。 浴龍池の西浜では御舟遊びの場で島々を廻りながら管弦や詩歌の宴が行われたという。上離宮・隣雲亭、眼下に浴龍池、遠方に借景の山々を望む壮大な風景が広がる壮観・大光景展望が望める。(4/8撮影)
<修学院離宮>
宮内庁京都事務所参観係 電話:075-211-1215
参観所要時間:約1時間20分
料 金:無料
交 通:叡山電車 修学院下車 徒歩約20分
市バス修学院離宮道下車 徒歩約15分
駐車場:なし
車椅子:不可
予約方法:事前予約制 「往復はがき又はホームページから申し込み」
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