gottuan's room
~ らくさいの三宝路 ~
2012年5月31日木曜日
山科 勧修寺「氷室の池」
29日、お京はん(京阪特急)で四条駅まで帰ったが雷雨も上がりうっすらと陽射しが差した。ブログ友といつもの店で昼食を取り、地下鉄を乗り継ぎ、山科・勧修寺の「氷室の池」へ睡蓮や花菖蒲を撮影しに行った。
山科 勧修寺は忘れることの出来ない「骨折」をしたところで今年の1月、洛西s病院で内固定抜去術(左橈骨遠位端骨折術後)を受けようやく1年が過ぎた。半袖を着るころになると手首の傷を思い出す。
ところで勧修寺(かんしゅうじ)と呼ばれているが、正式寺名は「かじゅうじ」で、平安中期の昌泰3年、醍醐天皇が創建した門跡寺院である。本尊は千手観音で皇室と藤原氏にゆかりの深い寺である。
境内には平安時代の姿をよくとどめる池泉庭園「氷池園」や書院(江戸時代 重文)、宸殿・本堂(江戸時代・京都市指定文化財)などがある。 拝観料金所でお話を伺うと、今年は氷室の池の水も数十cmになり待望の雨が降り、池の鯉も喜んでいるという。
京都一、水鳥の多い寺と言われている氷室の池、前方30mのジャングルの中の島は夕方になると琵琶湖から帰って来る水鳥のお宿なそうだが、ギャーギャーと啼くサギは雨のため?遅い!カワセミの番が一日中、氷室の池に来るという。
「氷室の池」には雨も上りスイレンや花菖蒲が生き生きと綺麗に咲いていたが、1時間も経っただろうか、雷鳴が鳴り俄に辺りが暗くなり様子が一辺した! 足早に素さ草と写真を撮影して帰ったが、昨年は5月23日で今年は1週間(29日)遅れで雷雨模様になった。
勧修寺は江戸時代、徳川家の寄進で現在の規模となり徳川家の皇室の援助により再興されたという。
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