篤い信奉者である後白河上皇(1127~1192年)が、熊野本宮大社のある熊野三山を繰り返し詣、京にいて熊野詣できるように仙洞御所法住寺殿(せんどうごしょほうじょうじどの)の内に勧請(かんしょう)して祀られ創建した。
これが新熊野神社の始まりで、熊野の新宮・別宮として長らく京の熊野信仰の中心地として栄えた。
「新熊野(いまくまの)」と読むのは、紀州の古い熊野に対する京の新しい熊野、昔の熊野に対する今の熊野というのがその由来である。
快晴の下、12時から本殿前で出立祭が行われ巫女や女官たちは社殿の中へ入り参詣した。行列の先頭は槍持や児武者・巫女、山伏そして警護の侍、鳳輦巡行、艶やかな衣装に身を包み12名の女官列、子どもみこしと獅子舞奉納もあった。
東山通北へ向かって進みUターンして左折し坂を上り、今熊野地域一帯を練り歩いた。つづく・・・
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