2012年5月14日月曜日

金澤翔子書品展 ~翔子と禅の世界~

第四回建仁寺展と題し、ダウン症の天才書家・金澤翔子書品展が大本山建仁寺大書院において5月9日から13日まで5日間開催された。
東日本大震災の復興の願を込めて希望の光第4回建仁寺展とし~翔子と禅の世界~金澤翔子書品展が開催された京都の名刹、建仁寺にある国宝『風神雷神図屏風』と天才書家の金澤さんが三年前に『風神雷神』を奉納し展示されている書があって、現在、NHKの大河ドラマ「平清盛」の題字にもなっている。
千字文は千の異なった文字、10日間で書き尽くした人智を超えた力強さを感じる1985(昭和60)年、6月彼女は東京都目黒区で誕生した、やっと生を授かった彼女だったが生まれてすぐダウン症と診断され母は絶望し親子心中を幾度となく考えたという。
両忘(りょうぼう)は、過去も未来も両方忘れるという意味という阿吽(あうん)書家である母は5歳の時、自宅に近隣の子たちを集め書道教室を始めたという。彼女は習いことをことごとく断られ、母は同年代の友たちを作ってあげたかったという。 小2の運動会の時、転倒した子を助けて他人と競い合わない彼女の優しい性格だった。だが突然学校から転校を勧められた。一般社会からの拒否、ダウン症の知的障害のため4年生で学校は断られ、親子には書道しか道は残されていなかった。
載断衆流(しゅうりゅうをせつだんす)は一切の煩悩を遮断すること鉄牛之機(てつぎゅうのき)は、確固不動にして達人の霊気を言う1995(平成7)年のとき、般若心経を書き、10歳で全日本学生書道連盟展に「花」を出品。父は彼女が20歳になったら個展をしてあげたいと言っていた矢先、心臓発作で他界した。父が思い描いた彼女の未来を見る事はできなかったが、わが子の将来を信じる希望を託す夢が実った。
16歳のときと17歳のときは、日本学生書道文化連盟展に出品、金賞を受賞している。 彼女は19歳のとき雅号を取得「小蘭」と名乗った。2006(平成18)年10月、神奈川県鎌倉市「建長寺」に額装“慈悲”を奉納、三年6ヶ月後、個展を開いた。
今年は辰年、だがあえて本人は牛年で題材にしたという2009(平成21)年以後は鎌倉の建長寺と京都の建仁寺において個展を開催している。 彼女は、小柄な人だったが明るく素直さに加えて、人の心を思いやる豊かな光を注ぐ力を持ち、身の丈を越す大書をするパワー、墨をタップリ含んで重くなった大きな筆、どの書を見ても躍動感があった。 彼女の無垢な心から生み出された書が、多くの人々に深い感動を与えている。

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