書家である母は5歳の時、自宅に近隣の子たちを集め書道教室を始めたという。彼女は習いことをことごとく断られ、母は同年代の友たちを作ってあげたかったという。
小2の運動会の時、転倒した子を助けて他人と競い合わない彼女の優しい性格だった。だが突然学校から転校を勧められた。一般社会からの拒否、ダウン症の知的障害のため4年生で学校は断られ、親子には書道しか道は残されていなかった。
1995(平成7)年のとき、般若心経を書き、10歳で全日本学生書道連盟展に「花」を出品。父は彼女が20歳になったら個展をしてあげたいと言っていた矢先、心臓発作で他界した。父が思い描いた彼女の未来を見る事はできなかったが、わが子の将来を信じる希望を託す夢が実った。
16歳のときと17歳のときは、日本学生書道文化連盟展に出品、金賞を受賞している。
彼女は19歳のとき雅号を取得「小蘭」と名乗った。2006(平成18)年10月、神奈川県鎌倉市「建長寺」に額装“慈悲”を奉納、三年6ヶ月後、個展を開いた。
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