氏子範囲が広く、その広い巡幸範囲は5コースもあり今年は北へ上るコースもなく、昼食を取り先頭の巡幸を追いかけたが速度が速く、やっと新町下長者町付近まで足を延し、先導する地元の児童が務める御車童子が綱を引く牛車に出会った。
行列の一行は護王社に入って一休みし、今出川通の京都御所にある朔平門に向かった。巡幸行列は先頭に触太鼓、氏子地域を三基の神輿が元気いっぱいに練り歩いて威勢の良い「ホイトッ・ホイトッ」の掛け声が街々に響き渡り聞こえてくる。
午後4:20、140年ぶりに牛車が導く御車と神輿三基が今出川御門から参入した。御所北門の朔平門前では大勢の市民や観光客の人々が見守るなか、神職と法被姿の担ぎ手が拝礼した。威勢のよい掛け声が響くなか、神輿を上下に揺らすと観客からは歓声が上がり三基の神輿が高々と差し上げられると観衆から拍手が沸いた。
江戸時代から御所内を神輿が巡行していたが、都が東京に移り御所内の巡幸は明治時代に途絶えていた。
小山郷、今出川口の二基の神輿はホイットー、ホイットーと言う掛け声だが、末広神輿の一基は、速いテンポでエライヤッチァ、エライヤッチァと言う~左右三ツづつある「大きな鈴」が自慢の神輿で、本殿の形をした刈又の形式、さらに拝殿で暴れるのを防ぎ黒棒に縄を巻いて、その縄を肩にかけ神輿を引き上げる全国でも“珍しい祭の担ぎ方”といわれている。
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