2011年10月22日土曜日

新熊野神社(いまくまのじんじゃ)

東大路通今熊野バス停を南へ向かうと西側に巨大な樟(くす)の木(樹齢840年)の森が見える。この樟の木は熊野から移植したといわれ、後白河上皇のお手植えのご神木、健康長寿、特に腹を守護する神、安産の守り神として信仰されている。 拝殿(奥に本殿、熊野牟須美大神(くまのむすびのおおかみ) を祀る)
後白河上皇が、熊野三山の神をこの地祀られ創建した平安時代1160(永暦元)年ごろ、上流社会の間では熊野信仰が盛んであった。
篤い信奉者である後白河上皇が、紀州(現在の和歌山県)熊野三山の神をこの地にあった仙洞御所法住寺殿(せんどうごしょほうじょうじどの)の内に勧請(かんしょう)して祀られ創建した。お手植えの樟の木
後白河上皇これが新熊野神社の始まりで、熊野の新宮・別宮として長らく京の熊野信仰の中心地として栄えた。「新熊野(いまくまの)」と読むのは、紀州の古い熊野に対する京の新しい熊野、昔の熊野に対する今の熊野というのがその由来である。
後白河上皇の命を受けた平清盛は、熊野の土砂や材木を用いて社域や社殿を築いた。また神域には那智の浜の小石を敷き詰め霊地熊野を再現したという。以来、皇室の尊崇が厚く、社域は広壮、社殿は荘厳を極め公家も参詣され繁栄したという。 樟大権現と樟龍弁財天
その後、応仁の乱以降の度々の戦火で衰退し、廃絶同様の状態になっていたが、江戸時代初期の1666(寛文6)年、後水尾天皇の中宮東福門院(三代将軍徳川家光の妹・和子)が復興、現在の本殿(市指定有形文化財)は1673(寛文13)年に聖護院の道寛親王により再建された建造物である。熊野本宮証誠殿(しょうじょうでん)と同じで、構造形式、平面構成ともに「熊野造り」の代表的な社殿である。尚、能楽の祖、観阿弥・世阿弥父子は1374(応安7)年、足利三代将軍義満台覧の下、有名な「新熊野神事猿楽」を演能、これが今日の“能楽”隆昌の機縁となった。
その他、境内末社がある。 三本の足を持つという八咫烏(やたがらす)
熊野古道入口三本の足を持つという八咫烏(やたがらす)は熊野の神の化身、太陽の使者として勝利・幸運に導く鳥でもあるという。日本サッカー協会のシンボルマークにもなっている八咫烏は近代サッカーを紹介した中村覚之助が和歌山出身であったことに因むという。 梛(なぎ)は「災難をなぎたおす」木とされ、「梛に烏」が新熊野神社の社紋になっている。
<新熊野神社>
住 所:京都市東山区今熊野椥ノ森町 Tel:075-561-4892
開門時間:24時間
拝 観:境内自由
交 通:市バス今熊野バス停下車 徒歩約2分
駐車場:裏側に参拝者用有り

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