大社は平安遷都以前からの神社で、秦一族の氏神として祀られたのが始まりと伝わる。
秦忌寸都理(はたのいみきとり)が701(大宝元)年に松尾山頂に一族の氏神として社殿を建立、秦氏が神職を受け継いできたのが起りとされている。
法被を着た威勢の良い與丁(よちょう)たちは総門の石段を登り、神輿の鳴鐶(なりかん)を手に拝殿に向った。
平安期は賀茂社と並び王城守護の社として大切にされ東の「賀茂の厳神」、西の「松尾の猛霊」と称され弟の秦伊呂具(はたのいろぐ)は711(和銅4)年、伏見稲荷大社を建立している。
祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の2座で、大山咋神は上賀茂社、賀茂別雷神の父神である。
本殿前で拝殿三周してから総門から外に出た。
満開のヤマブキをバックに神輿が三回拝殿廻しをして、楼門の外に出る。
危ない危ない・・・右側が沈んできたがなんとか持ちこたえた!おっとっと右側が傾いた、石段があるがスムースに通り抜けた。
松尾七社は、本殿の御分霊を受けて拝殿廻し(三周回)後、月読社の唐櫃一基と六基の神輿が出発、神輿はヤマブキ色の輝いていた。
松尾大社の春祭り、これから桂離宮西岸へ向かって神輿は船渡御につづく・・・ 。(4/26撮影)
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