2014年2月7日金曜日

祇園宮川町 襟替え

6日12:00頃から祇園花街の宮川町で「襟かえ」があったので観に行ってきた。この日は一段と冷えて「寒おすなぁ~」が挨拶がわりの京の如月、春は名のみの厳しい寒さだが、多くの写真愛好家が来ていた。 襟替えは二十歳頃になって舞妓から芸妓(げいこ)になる儀式で、これまでの着物の襟を赤襟から白襟に変えることから『襟替え』といわれている。
 駒屋さんの女将が火打ち石を使った。
気温3℃の酷寒、「とし夏菜」さんはカメラマンのポーズに答えた。この日は気温3℃の酷寒、13:00置屋「駒屋」さんで襟替えの儀式を終えた後、今日の主役、「とし夏菜」さんは女将さんとともに姿を魅せ、カメラマンのポーズに答えた。 駒屋さんの前で2時間くらい待った5,60人なる写真愛好家が一斉にシャッターを切った。
女将さんは我が子同然にして帯をなおした。
日頃お世話になっている宮川町お茶屋組合に行き、新芸妓のあいさつ。女将さんを先頭に「とし夏菜」さんは日頃お世話になっている宮川町お茶屋組合に行き、新芸妓の『襟替えのご挨拶にまいりました』と伝えた。
女衆さんと一緒に回り「今後ともご贔屓におたのもうします」と挨拶した。
絢爛豪華な「先笄(さっこう)」を結う「とし夏菜」さん。駒屋の「とし夏菜」さん、きょうから芸妓さんになり少し緊張気味、凛として女子衆(おなごし)さんと一緒に挨拶回りをした。 髪型の「先笄(さっこう)」が好く似合う「とし夏菜」さん、舞妓時代は自分の髪で「割れしのぶ」を結い上げ、2~3年後になると「お福(福髷)」に結いかえる。
駒屋の「とし夏菜」さん、きょうから芸妓さんになり少し緊張気味かな!芸妓さんになる1週間から10日ぐらい前から、絢爛豪華な「先笄(さっこう)」を結という。そして、髪型も地毛から鬘(かつら)に代わる。 宮川町通りを南へ新芸姑・とし夏菜さんは、各お茶屋さんやお店を女子衆さんと一緒に回り「今後ともご贔屓におたのもうします」と挨拶した。
「おかあさん、どうぞご贔屓に・・・」とあいさつ、女将さんが『美くしゅ~なって、がばっておくれやっしゃ!』と声をかけた。
満面笑みを浮かべて女衆さんと共に・・・。襟替えの時期は20歳前後の場合が多く、女衆さんが『襟替えのご挨拶にまいりました』とお茶屋の中に入ってからいう、駒屋さんの「とし夏菜」さんが「おかあさん、どうぞご贔屓に・・・」とあいさつ、女将さんが『美くしゅ~なって、がばっておくれやっしゃ!』と声をかけた。
美しい「とし夏菜」さん。置屋(おきや)は「屋形(やかた)子方屋(こかたや)」とも呼ぶが、芸舞妓さんの所属するプロダクションの様なもので芸妓さんになるまで食事、着物、お稽古代、おこずかいなど全てを受け持ち、一人前の芸妓さんになるまでは無給となる。
宮川町通りで「おめでとうさん」と知り合いに言われ会釈していた。
またお茶屋は分かりやすく言えば「貸し座敷」、お客さんに対して遊ぶ場所を提供し、茶屋遊びは料理を頂きながら芸舞妓さんが舞踊を鑑賞し、心地よく気を配るのが仕事という。
笑った顔も素敵な「とし夏菜」さん。
 新芸妓の「とし夏菜」さん、満面笑みを浮かべて女衆さんと・・・。 年々、舞妓さんの「襟かえ」は少なくなったとはいえ、細々とでも伝統は受け継がれている。 祇園宮川町に来るとほっこりとしては、「おちつく」のはその日本文化の佇まいがあるからかもしれない・・・。
これからもよろしくと会釈する「とし夏菜さん」、ご苦労さんでした。
カメラマンのバチバチをシャッターの流れる中、次のお茶屋さんへ向かう。祇園花街は伝統を守りつつ、その時代に合わせながら、これからも続いていって欲しいものだとおもった。(2/6撮影)

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