千本釈迦堂「おかめ節分会」は、境内の法螺貝の音ともに「おかめと鬼」の行列が練り歩き、おかめ像前に参列して法要を営なった。
鎌倉時代 本堂を建立するとき、大工の総棟梁が誤って柱を短く切ってしまった。妻である「おかめ」さんが夫を助け無事竣工できたという。だが女の身分で夫の世間に漏れること心配した「おかめ」さんが自害した悲しい物語がある。
釈迦堂を建立した大工の棟梁は、おかめの名の福面を扇御幣につけて飾り 冥福を祈ったという。その後、大工の信仰を得るようになり今日でも上棟式にはお多福の面を着けた御幣が飾られている。
度重なる戦乱にも残った本堂とも結びつき厄除、招福のおかめ信仰につながっている。 また本堂の前で早咲きの白い花を咲かせる枝垂桜、この桜が阿亀桜(おかめざくら)と名付けられている。
おかめ福節分会は、15:00から古式厄除行事で福まめなど、おかめ像前で法楽や木遣音頭(番匠保存会奉納)が行われた。
節分厄除祈祷法要と年男などが厄除祈願、本堂ではおかめ装束をした男女数人による古式厄除は、暴れ回る鬼たちをおかめが優しく戒め改心させる「鬼追いの儀」は茂山社中による狂言によって行われた。 いよいよお目当ての、古式・鬼追いの儀が茂山千五郎社中の奉納であった。
そして最後は舞妓さんや歳男女は「おかめ」の面をつけて全員で招福豆まきでお開きとなった。 節分会は時季の変わり目に邪気をはらい、一年の健康を願う、千本釈迦堂の節分会は、おかめさんの笑顔で福徳円満となり、晴々とした清々しい気分でこころも満足した。(完)(2/3撮影)
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