2015年11月3日火曜日

先斗町 お店だし

2日、朝からそぼ降る雨も上がり、午後からお茶屋・丹美賀さんで「お店だし」があり、ご贔屓筋のおめでたい「目録」が飾られていた。今日の主役、「市駒」さんは女衆さんと共にお茶屋さんとご贔屓筋に挨拶廻りをした。
女衆さんと共に、市駒さんはご贔屓筋に挨拶廻りをした。
カッチ、カッチと火打ち石の音がした!新調の別誂えの豪華な「黒紋付き」を着き、「火打ち石」をしてもらい、市駒さんは丹美賀さんの外へ出た。
晴々とした表情の市駒さん。
先斗町歌舞練場の門を開けた。先斗町歌舞練場の屋根には中国の蘭陵王の舞楽面を型取った鬼瓦が守り神として据えてあるという。
凛々しき顔立ちだった。
市駒さんは15.6歳にしてはしっかりした顔立ちで、これからがご贔屓筋が楽しみだと感じた。
初舞妓さんの市駒さんは各お茶屋さんや通りあったお姉さんにお辞儀をし、女衆さんと一緒にご贔屓筋に回り「今後ともおたのもうします」と挨拶した。

挨拶を交わす市駒さん、30人位のカメラマンたちは足早に狭い先斗町を南北に歩いた。
先斗町は三条一筋南から四条通までの南北に走る鴨川から木屋町通の狭い通りである。
鴨川の洲であったが寛文10(1670)年に護岸工事の為埋め立て石垣を築き町家が出来て、これを新河原町通りといった。
三条一筋南から、四条まで、即ち南北600m、東西50mにわたる地域に人家が建ちならび俗に先斗町と呼ぶようになった。
「お姉さん、これからもお願いします」と挨拶する市駒さん。今から303年前にお茶屋、旅籠屋と女子を置くことを許され、花柳の街として繁盛、現在に至っている。
笑顔で会釈する市駒さんだった。ご丁寧にカメラマンにお辞儀をしてから市駒さんは、丹美賀さんに戻った。
それから黒紋付きのままで女衆さんと河原町方面に出かけた。先導役の女衆さん、ご苦労さんでした。(11/2撮影)

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