2015年10月16日金曜日

上七軒 衿替え

15日、午後1時半過ぎ、置屋「市」さんで襟替えが行われ、今日の主役「市まり」さんは満面笑みを浮かべて女衆(おんなし)さんとともに姿を魅せ、各御贔屓筋にご挨拶に回った。
上七軒通りは上京区真盛町から社家長屋町に位置し、北野天満宮東門から花街、お茶屋があり街並みには風情がある。
置屋「市」さん前では3,40人の写真愛好家が一斉にシャッターを切った。
二十歳になって舞妓さんを卒業し、着物の襟をこれまでの赤襟から白襟に変えることから『襟替え』といわれるもので、芸妓(げいこ)さんになる儀式である。
女衆さんの先導で各お茶屋さんやお店を「市まり」さんは一緒に回り「今後ともご贔屓、おたのもうします」と挨拶した。
女衆さんが『市まりさんが襟替えのご挨拶にまいりました』と言うと、市まり さんが「あかあさん、どうぞご贔屓に・・・」と挨拶、女将さんが「おめでとうさんどす、おきばりやす!」の声が聞えてきた。
舞妓時代は自分の髪型で「割れしのぶ」を結い上げ、2~3年後になると「お福(福髷)」に結いかえ、芸妓になる1週間から10日ぐらい前から、絢爛豪華な 「先笄(さっこう)」を結という。
市まりさんは20歳と思えない落着きぶりで陽が射し、白粉と黒紋付が光っていた。
舞妓さんはだらりの帯や華やかな衣装で唄や舞、三味線などの芸事を披露するが、15,6歳ごろから芸妓さんの見習い修行段階の人をいう。
修行一年目のとき上唇は口紅をぬらず、襟は可愛い赤い襟とする仕来たりがあるという。

あぽっくり「おこぼ(赤い鼻緒)」は、歩くと鈴が付けられている。襟足はお正月は三本にするが普段は二本である。

室町時代に北野天満宮の一部が焼失し、再建の際に残った用材を使って七軒のお茶屋を建て“七軒茶屋”と称したことにはじまる。
太閤秀吉公が北野大茶会を催した折、上七軒から差し出された、名産「御手洗団子(みたらしだんご)」を献上したところ大いに誉められ、お茶屋では、“五つ団子”が「紋章」になっている。
華やかな襟替え、上七軒芸妓組合や歌舞練場へも挨拶、写真家のために市さんの前で「襟替え」記念撮影をした。

祗園東の岡とみさんの「雛祐」さんも応援で来ていた、女衆さんと市まりさん、今日はご苦労さんでした。(10/15撮影)

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