2013年8月29日木曜日

石川啄木 渋谷小学校旧校舎を訪ねて

11日、銀河鉄道JR盛岡市に出て、沼宮内(ぬまくない)行きの県北バスで石川啄木記念館と渋谷尋常小学校旧校舎を訪問した。7年前にも一度来たことがある。
いわて銀河鉄道で盛岡に行った。
サラサラと水が流れる盛岡駅前。盛岡市指定文化財になっている旧渋谷尋常小学校は、1888(明治17)年、旧渋谷村の愛宕神社の脇に村民の寄付により650円で建設された。当時の校舎は木造二階建てで、一階は職員入口と廊下、教室があり、二階は廊下をはさんで三教室があった。
明治時代後半の校舎。
盛岡市指定文化財になっている旧渋谷尋常小学校。約50年間使用され後、地区の公民館として使われ、1967(昭和45)年、老巧化により取り壊されることとなったが、啄木の母校であり、代用教員時代に教鞭をとったこともあるゆかりの校舎であり記念館敷地内に移転保存された。
一階のオルガンがある教室。
一階の女子囲炉裏がある校舎。現在の建物は、2度の移転や改修がおこなわれ、柾屋根造り、連子格子、囲炉裏のある溜まり場など明治前期の面影が残されており、現存する学校校舎として県内では最も古い建物の一つである。
二階の教室。
職員室。隣にある建物は、啄木が明治39年から同40年、代用教員の教壇に立った頃に生活していた借家である。生徒の指導にあたる一方、この二階で書いた小説には、有名な「雲は天才である」や「面影」などがある。 「ふるさとの 山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山は ありがたきかな(一握の砂)
卓袱台と囲炉裏がある質素な家。
啄木はこの二階で生徒の指導にあたる一方、執筆活動を続けた。(借家を提供した斉藤家)啄木は僧侶であり歌人であった父の姿を見て自然豊かな環境で育った。盛岡中学校ではことばの持つ魅力に引かれていった。「不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心一握の砂
旧校舎、2階の廊下。
代用教員も一年半ばで退職、故郷渋民村を去って北への漂泊、新聞社を函館、札幌、小樽、釧路と転任した「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる(一握の砂創作生活に賭けて北海道から単身上京、執筆活動を続けながら新聞社に勤めた。だが啄木は病魔に冒され26歳の若さで短い生涯を閉じた「やわらかに 柳あをめる 北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」
代用教員も一年半ばで退職、故郷渋民村を去って北への漂泊、新聞社を函館、札幌、小樽、釧路と転任した。石川啄木記念館。なお借家を提供した斉藤家は江戸時代末期、奥州道中の南側に建てられた町家で盛岡指定文化財になっている。盛岡市内の「啄木新婚の家」を送る。
<石川啄木記念館>
入  館  券:450円(障害者割引なし)
県北バス:沼宮内(ぬまくない)行き2番
所要時間:片道40分 
料        金:560円(障害者280円)

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