2009年8月3日月曜日

史跡・神泉苑

法成橋と善女龍王社
神泉苑の鳥居1200年以上も昔の延暦13年(794)、桓武天皇が平安京の造営にあたり、大内裏の南の沼沢を開設した苑池で常に清泉が湧き出すことから「神泉苑」と名づけられた。
その領域は東西南北六町まで延び造営当時は約四万坪にもなる広大さであった。願いを一つしてこの橋を渡り、善女龍王社にお願いすると叶うという
本堂/聖観世音菩薩を祀る苑内には大池と中嶋のほか、北部には宏壮な宮殿が建てられ、歴代の天皇や貴族が舟遊びや観花・詩や弓射、相撲・狩りなどの遊宴をおこなったと云われ、元は平安京大内裏に接し造営された禁苑(天皇のための庭園)であった。
御池通、正面鳥居をくぐると左手に本堂がみえる。東寺真言宗の寺院「神泉苑」の本尊聖観世音菩薩が祀られている。矢釼大明神/池の東側の森に祀られている
弁財天堂/なまずの瓦が珍しい平安初期の天長元年(814)の大干ばつの際、天皇の勅命により東寺の空海(弘法大師)と西寺の守敏(しゅびん)との祈雨(きう)の法力の競い合いが行われた。苑池には竜神が住むといわれ、「善女竜王」を勧請し降雨を祈願した空海が勝った。以後、東寺は栄え、西寺は荒廃したと伝わる。その後、神泉苑において雨乞いの儀式が行われるようになったという。 御池の龍王船と祀られた善女龍王社
雨乞いの儀式が行われる善女龍王社貞観11年(869)の疫病流行のときは、祇園社(現八坂神社)の御霊会が鉾を66本造り神泉苑に集まり行列する。これが祇園祭のはじまりと言われる!
また、小野小町も来苑し、祈雨され
  『ことわりや 日の本ならば 照りもせめ さりとてはまた 天が下とは』
                                    と和歌を詠じられた。
また、寿永元年(1182)雨乞い儀式で神殿に供える舞を舞う百人の白拍子の中に静(静御前)がいた。義経は、舞を舞う白拍子の静(しず)の美しさが忘れられず、その夜、館へ静を呼び宴を開いたという。これが義経と静との最初の出会った場と言われている。
正面鳥居をくぐった池のほとりに歳徳神が祀られている。毎年恵方社は大晦日の晩の11時に翌年の恵方へ祠の正面が向けられる。神泉苑は全国にただ一つという珍しい神社でこの恵方社の奥に法然上人が勧請した善女竜王が祀られている。神泉苑のお守り
北門、祇園平八入口につづくまた、この御池には法成橋という赤い橋があるが一つお願いをして橋を渡り、善女龍王社にすれば叶うとされている。
神泉苑は「御池通」の名前の由来であるとの説もあるが定かではない!
平安京最古の史跡・神泉苑は、地下鉄東西線「二条城前」駅3番口を出て押小路通を西へ、世界文化遺産の二条城の外濠を見ながら徒歩約4分、南側に北門がある。
<神泉苑>
・住所:京都市中京区御池通神泉苑町167
・拝観:境内自由
・地下鉄東西線:「二条城前」3番出口から徒歩約4分
・市バス・京都バス「神泉苑」下車すぐ

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