2009年4月9日木曜日

京都・小倉山 二尊院

小倉山二尊院本堂
伏見城の薬医門を移築した総門
境内は紅葉の名所として有名だが春桜の見所として隠れた処である。緑の苔も落ちついた雰囲気、伏見城の薬医門を移築した総門をくぐれば広い参道が続ている。総門をくぐれば広い参道が続く
苔も鮮やかな二尊院(にそんいん)は、天台宗の寺院で山号は小倉山、正しくは、小倉山二尊教院華台寺という。
右に釈迦如来像、左に阿弥陀如来像の二本尊二尊院の名は、本尊の「発遣の釈迦」と「来迎の阿弥陀」の二如来像によるものである。本堂、右に釈迦如来像、左に阿弥陀如来像の二本尊(ともに平安末期の作で重要文化財)を安置しており、二尊院の名もここから名付けられた。
平安時代初期、承和年間に嵯峨天皇が慈覚大師を開祖として建立したのが起こりで、その後荒廃したが法然上人らによって再興された。
本堂・唐門は応仁の乱によって火災で消滅したが約30年後再建された。

唐門「小倉山」の勅額(後柏原天皇)本堂「二尊院」の勅額、後奈良天皇から下賜されてもの

本堂「二尊院」の勅額(後奈良天皇)、唐門「小倉山」の勅額(後柏原天皇)はこの時に下賜(かし)されたものだという。 石川丈山が考えた鹿威し
本堂南には茶室御園亭本堂南には木立の中に茶室御園亭があった。
一定の間から「コットン」と音がする・・・何だろう?
石川丈山が田畑を荒らす猪や獣を追い払うため考えたと伝わる「鹿威し」。静寂の寺院に音が鳴り響く・・・
近くだが二尊院は初めて来たと言う奥さんも素晴しさに感動していた!広い参道に桜が満開
百人一首ゆかりの、藤原定家の「時雨亭」跡山腹の墓地には、三条実美・角倉了以・伊藤仁斎や阪東妻三郎など有名人の墓が多数ある。平成18年5月16日79歳で亡くなった俳優の田村高廣も眠っている。平成5年10月田村が建立、墓誌に刻まれている。また、奥には、百人一首ゆかりの、藤原定家の「時雨亭」跡があり閑静な場所でウグイスが鳴いていた。素晴しい別天地であった!そこへ、中年の紳士が現れて呟く・・・「ウグイスも鳴き、最高だ!」と・・・、名古屋から馳せ参じたと言う!NHKTV朝の桜だよりを(大沢の池)見て・・・桜花爛漫角倉了以の墓前散策していると角倉了以(すみのくらりょうい)の墓前で立ち止まった。
戦国期の京都の豪商で角倉了以1554年~1614年は、幕命により大堰川や高瀬川等の開削を行ったという。地元京都では商人と言うより琵琶湖疏水の設計者である田辺朔郎と共に「水運の父」として崇められている。春爛漫
本堂から眺めた庭嵐山界隈は人の波だ・・・桜の季節、喧騒を離れ小倉山の二尊院は本当に落ち着いた雰囲気を味わった寺院だった。 

0 件のコメント: