2012年10月16日火曜日

西院 春日祭 供奉行列(くぶぎょうれつ)

つづく・・・右京区西院にある春日祭は、1935(昭和10)年ごろから中京区と右京区ができて氏子区域が変更、以前、東は西高瀬川(西新道通)から野々宮お旅所付近から北は三条・南は五条と広範囲の祭りだった。
春日祭 供奉行列(くぶぎょうれつ)の先頭を行く触れ太鼓前方は榊、後方は天狗四条通を東へ向かい、四条御前通でUタン、供奉行列は再び午後2時ごろ、見せ場の西大路交差点で五基の剣鉾などや二基の神輿の辻回しをした。
剣鉾重量はどのくらいあるか?腰でしっかりと持たないと・・・観衆が見守るなか、五基の剣鉾が天高く舞い拍手を送っていた。その後、法被姿の威勢の好い担ぎ手の氏子たちが「ホイット、ホイット」と大きな掛け声とともに、神輿が高く掲げる勇壮な姿がみられた。
春日祭は西大路四条交差点で神輿を披露する!奉賛会の扇が法被姿の威勢の好い担ぎ手の氏子たちの音頭とる平安時代初期にこの一帯は、御所の西方にあることから「西院(さいいん)」と称され「西院(さいん)」とも呼ばれ、淳和天皇の離宮「淳和院」が営まれた地であった。天皇が皇位を退位して淳和院に移った際、奈良の春日大社に分霊を勧進して出来た社で、秋季例大祭があり多くの参拝者で賑わった。
御所の西方にあることからこの一帯を「西院(さいいん)」と呼ばれた神輿が、高く掲げ勇壮な姿がみられた 春日祭は、古儀を再現した優雅な祭りで平安装束を身に纏い、紋章には淳和天皇が好きだった藤が使われている。付近では当時の淳和院の遺構が発掘されており、規模の大きな離宮であったことが判明している。
西小路から四条通へ勤皇、鼓笛隊の童子は休憩したあぁ~つかれたー子供神輿引っ張る幼子たち 午後5時ごろになり、行列一向は佐井(春日)通を南進、五条通を東へ向った。
神輿の前で4人の八乙女の神楽神職も四条通に立ち、鳴り物は笛・太鼓で神楽を踊った最後は西大路通を北進、神社境内へは午後6時還御(かんぎょ)だが、有名な「神霊還し」と「五基の剣鉾」二基の神輿による「拝殿回り」は、拝見できなかった。四条通中信で八乙女による「神楽奉納」が拝見することができてとてもよかった。
鈴を直す八乙女たち辺りは夕闇が迫ったが、春日祭は氏子たちに2基の神輿をみせる境内にある淳和天皇の皇后正子内親王を祀る還来(もどろき)神社には、古くから旅行安全の神としても知られ、わらじを奉納して旅行安全を祈願する習慣が今に伝わっている。また西京区大原野南春日町にある小塩山に淳和天皇の陵墓がある。(完)

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