2012年10月8日月曜日

2012大津祭 その1

7日、大津祭は天孫(てんそん)神社の祭礼で、地元の氏子さんから‘四宮さん’と親しまれている。13基の曳山が午前9時ごろから滋賀県庁近くの天孫神社に集合し、コンコンチキチンの祭囃子を響かせながら巡行を練り歩いた。
13基の曳山が午前9時ごろから滋賀県庁近くの天孫神社に集結した天孫神社で神事を執り行う天孫神社の奈良時代782(延暦元)年に創建され、平城天皇が近江に行幸の際、当社を行在所として禊祓され、近江国四之宮神社として江戸時代ころまで広く信仰された。
中堀町の孔明祈水山元禄7年(1694)俗に祈水山ともいう、見送り 湖国三大祭と言えば、日吉山王祭、長浜曳山祭の一つに数えられている。
白玉町の西宮蛭子山万治元年(1658)宇治橋姫山と呼んでいた、見送り6日に宵宮、7日に本祭が行われ大津祭はハイライトを迎えた。13基の曳山は、ゴブラン織や装飾金具の豪華な懸装品に飾られ大津市中心部を巡行した。
猟師町の神功皇后山丸屋町の西王母山大津祭は江戸時代のはじめ、鍛冶屋町の塩売り治兵衛が神社の祭りの日に“タヌキの面”をかぶって踊り、次第に屋台をつくって担ぎ歩いたのが始まりとされている。
太間町の龍門滝山南保町の狸狸山1638(寛永15)年からは三輪の曳山をつくり、やがて元禄・安永年間、現在の曳山に整えられたという。
湊町の石橋山(しゃきょうざん)柳町の殺生石山(せっしょうせきざん)いずれも江戸時代中期までに建造されたもので京都の祇園祭(巡行が終わったら直、解体「疫病を閉じめる」)の影響を強く受けているとされ、織物や幕など類似点も多く囃子も鉦や笛、太鼓である。
後在家町、下小唐崎町のかつ巨山元禄6年(1693)親孝行するものだよ教えてくるかつ巨山大津祭・曳山13基の特色の一つに曳山にはそれぞれにとり入れられている「からくり」がある。
玉屋町の湯立山中京町の源氏山の見送り祭の華であるからくりは曳山13基とほぼ同時期作られ、その動きには中国の故事や能、謡曲、神事など素材を得た筋書きがあった。
上京町の月宮殿山(げっきゅうでんざん)平成11年、見送りが新調された不鬮取(くじとらず)の西行桜狸山を先頭に12基の曳山が天孫神社の狭い鳥居前で神事をし京町通へ行った。つづく・・・

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