2013年2月21日木曜日

長濱盆梅展 滋賀県長浜市

長浜市の慶雲館で湖国に一足早い春の訪れを告げる、「第62回長浜盆梅展」が1月19日(土)~3月10日(日)に開催されるのでことしも21日観賞に行ってきた。車窓からは湖西の雪山を見つつ列車は湖北へと1時間ほど走り、途中から吹雪きで少し心配だったが長浜市街は小雪が散り舞う風景に北国の情緒感があった。
長浜市の慶雲館で盆梅展。1952(昭和27)年、盆培愛好家の故・高山七蔵氏(現在の長浜市高山町)が約40鉢を市に寄贈したのが始まった。梅の花は香りも好く寒い冬を乗り越え、一輪また一輪と咲くけな気な姿が好きで蕾が膨らみ花開くころは早春の訪れを感じさせる。
梅花の甘いほのかな香りがした。八重咲き紅梅の老木、樹齢400年の「不老」。日本一の歴史と規模を誇る長浜盆梅展は1952(昭和27)年に始った。盆培愛好家の故・高山七蔵氏(現在の長浜市高山町)が約40鉢を市に寄贈したのが始まりで、以来、市民や来館者が寄せた梅を市が大切に守り公開している。
開花時期に合わせて見ごろになった鉢を選んで常時約90鉢を会場に展示している。白雲(はくうん)という種類。国内最大級の盆梅展、市は300余鉢の盆梅があり多彩な梅を楽しんでと開花時期に合わせて見ごろになった鉢を選んで常時約90鉢を会場に展示している。
この頃のヤング層は知らない?『盆梅は鉢植えの梅』で、梅の盆栽である。第一回から展示している盆梅、樹齢250年の昇龍梅はその姿は龍が天に昇る勢い。長浜の「盆梅展」と言っても馴染が薄くなって、特にこの頃のヤング層は知らない?『盆梅は鉢植えの梅』で、梅の盆栽で一般にイメージされるものとは違い、その“大きさ”と“樹齢”が特徴である。 市が管理する盆梅の中には、高さが3m近い巨木や樹齢400年を超える古木もあり、それらを含めた約300鉢の中から、開花時期に合わせて常時約90鉢を展示している。慶雲館の座敷に入ると盆梅、隼の横に寂聴さんの『梅匂ふ湖北のをみなうつくしき』句があり、梅花の甘いほのかな香りがした。
白梅の郡雀(むらすずめ)という種類。霜雪を耐えて忍んで今もなお力強く生きている、高さ3mに迫る巨木、「さざれ岩(樹齢350年)」長い年月、風霜雪を耐えて忍んで今もなお力強く生きている、高さ3mに迫る巨木、「さざれ岩(樹齢350年)」や八重咲き紅梅の老木、樹齢400年の「不老」は、最も歳を重ねる姿に不老長寿を感じさせない綺麗な紅梅が目を引き付ける盆梅の横綱格である。 第一回から展示している盆梅、樹齢250年の昇龍梅はその姿は龍が天に昇る勢いを連想させた。一つの枝から紅白の花が咲くという源平2色咲き分けの「輪違い(りんちがい)」別名、思いのままもある。
雛沙(ひなさ)淡桃色の花が雛まつりを思わせた。名前は不明だが、木一杯に紅梅の花を咲かしていた。国指定名勝「慶雲館」の本館は明治時代の建設で、まちの迎賓館として建造され市の新たな観光施設として1952(昭和27)年から盆梅展は始まった。名称「慶雲館」は、内閣総理大臣伊藤博文が命名し、明治天皇行幸に合わせ、長浜の豪商・浅見氏が私財を投じ迎賓館として建築した。
香てん梅 (別名・雲龍梅)信楽高校作魁健(かいけん)推定樹齢100年、幹の根元から花をつけた。 敷地内には、高さ5mを超える巨大な大灯篭があり純和風の日本家屋の座敷で迎賓館として使用されたというが、そこへ一歩足を踏み入れると明治の歴史文化と気品が漂う別空間がある。
青芝玉蝶(せいしぎょくちょう)八重咲きの白梅、中国300年の古木から接木した。武蔵野は日本の梅で最も大きな花を咲すという。歴史、規模ともに日本一の長浜盆梅展は、今回で62回目を迎えたが、ことしは降雪も多く今日も湖北は雪で寒さが厳しかった。盆梅展の魅力はわが子を育てるのと同様、温かい愛情とともに厳しい管理が求められている、花が咲き終わった瞬間から来季の開花に向けて手入れがはじまるという。
七代目小川治兵衛作庭の雪の庭園、湖北北陸らしい雪吊り。  明治時代の大横綱、常陸山、稀に見る角聖で、浅見氏が贔屓という。慶雲館の「長浜盆梅展」は、長浜の“早春の風物詩”にもなっており会場には多くの観光客や市民で賑わっていた。なお(フォトの上でクリックすると画面が大きくなる)つづく・・・
<第61回・長浜盆梅展>
開催場所:長浜市慶雲館(滋賀県長浜市港町)
開催期間:2013/1/19(金)~3/10(日)
開催時間:9:00~17:00 観覧料金:大人500円、小中学生150円       
              ※障害者手帳所持の方と同行者は無料
交   通:JR長浜駅より徒歩3分

2013年2月18日月曜日

浄焚式 金戒光明寺

16日、時折、雪が舞う寒さの中、金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)で「浄焚式(じょうぼんしき)」が執り行われるので行ってみた。直近くの真如堂へは参るが金戒光明寺は5・6年ぶりである。
金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)で「浄焚式(じょうぼんしき)」が執り行われる。大本山金戒光明寺と京都守護職・会津藩主松平公本陣旧趾御門。丸太町通岡崎道で市バスを降りて北へ3分、西向きに京都守護職・会津藩主松平公本陣旧趾門があり、境内の中に入ると山門がことしの秋まで大修復中で見ることが出来なかった。
浄焚式は古くなった仏壇仏具や御守など、お経を唱えながら焼き清める儀式である。4人の若い僧侶たち。浄焚式とは古くなった仏壇仏具や御守など、お経を唱えながら焼き清める儀式である。御影堂前の境内に杉の丸太の木で組まれた浄火檀があった。
法主が立ち上がってお加持をした。僧侶たちが浄火檀を囲んで読経を唱え、法主が火を入れた。11:00過ぎその時、折りしも上空から雪が舞っていたが僧侶たちが浄火檀を囲んで読経を唱え、高橋法主が火を入れた。
信徒や市民が供養のために持ち寄った数多くの仏壇、位牌など、古い写真や人形、経本や数珠、手紙の品々が炎の中に次々と投げ込まれた。集まった参拝者、信徒たちは静かに手を合わせて「浄焚式」の法要を見守っていた。
当寺では、古くなった人形や捨てきれない写真、手紙なども供養、一般の参拝者からの浄焚物の持ち込みも承っており、お焚きあげするという。
仏壇、位牌など、古い写真や人形、経本や数珠、手紙の品々が炎の中に次々と投げ込まれた。2月といえば各社寺の山伏たちが祈祷し護摩木を燃やし護摩焚きやお火焚き供養をするのが一般的な方法であるが、各寺院でも祈願の古い絵馬も一年に1度、この式中に燃やしていただという。
いつも間にか俄雪も上がったが、広い境内は炎と煙が風に舞い寒い日であった。また金戒光明寺では今年の大河ドラマ主人公の新島八重や会津藩ゆかりの品々を展示している。(なおフォトの上でクリック、画面が大きくなる)
<浄焚式 金戒光明寺>
日  時:平成25年2月16日
     ・午前10時 写経会・午前11時 浄焚式・涅槃会 正午 法話・涅槃図内拝
場  所:御影堂前(法話・涅槃図内拝は御影堂内)
浄焚受付:御影堂内志納所

2013年2月16日土曜日

松ヶ崎大黒天 大祈祷会(妙円寺)

百ヶ日の荒行した僧が水行と護摩焚きが15日、左京区松ヶ崎の妙円寺(通称・松ヶ崎大黒天)で行われた。 日蓮宗松崎山妙円寺は、通称「松ヶ崎の大黒さん」と古くから地域に親しまれている。
日蓮宗松崎山妙円寺は、通称「松ヶ崎の大黒さん」と古くから地域に親しまれている。大黒天堂。松ヶ崎大黒天の大祈祷会の「水行」は午後1:30ごろから三人の修行僧が本堂前の階段を下り、浴衣を脱ぎ褌一丁になり冷水を頭から被る荒行をした。
今年は三人の修行僧。修行僧は浴衣を脱ぎ、冷水を被る前に気合の呪文を唱えた。三人の修行僧は浴衣を脱ぎ、気合の呪文を唱え、大桶から手桶に水を移して一回、二回、三回と一斉に頭から冷水をかぶった。そのあと三人の僧たちの体からはボゥ~ボゥ~と湯気が立ち上った。
日蓮宗の住職試験で静岡や千葉など百ヶ日に渡る荒行。裸になるのも寒い時期、水を被る。日蓮宗住職の試験で静岡や千葉など百ヶ日に渡る荒行を終え、僧が冷水を被る修行を行い護摩焚き大祈祷供養会が行われた。
この時期に荒行僧たちが「水行」を修し、瞬く間に大桶の冷水は終わったがカゼを引いてしまうので気合が大切という。写真愛好家の人たちは、水の滴で服が濡れのも構わずにシャターを押していた。
大黒天加持終了後、午後3時からは境内本堂前では護摩木焚け上げ供養が行われた。
妙円寺、本尊は釈迦如来で日英が創建の際、守護神として大黒堂を祀り大黒天尊像が有名となっている。
修業僧は護摩焚きと一心不乱に経を唱えていた。この大黒天像は伝教大師の作で開運招福の福神として広く信仰を集めている。
美味しいそばは無料接待、3杯もご馳走になった。絵馬堂では無料接待の「大黒天そば」があり、美味しくいただいた。地下鉄烏丸線松ヶ崎下車、徒歩で20分北側に位置し、五山の送り火を「妙法」の「法」の字の火床の下、京都伝統行事の一つの丘陵にある。
<松ヶ崎大黒天 大祈祷会(妙円寺)>
住   所:京都市左京区松ヶ崎東町31 電話:075-781-5067
参拝時間: 9時~16時30分 
境内自由:無料
交   通:叡山電車「修学院」下車、西へ徒歩約7分       
            地下鉄烏丸線「松ヶ崎」下車、東へ徒歩約20分       
            市バス「松ヶ崎大黒天」下車、北へ徒歩約5分

2013年2月15日金曜日

オペラ歌手 青野浩美さん

14日、京都市中京区の身体障害者リハビリデーションセンター3階体育館で地域リハビリテーション交流セミナーが午後2時から4時まで開催された。原因不明の病を抱え、のどに穴を開ける気管切開を余儀なくされながらも活動を続けるソプラノ歌手・青野浩美さん(30歳)=京都市右京区=のコンサート&トークが行われた。
中京区の身体障害者リハビリデーションセンター3階体育館で地域リハビリテーション交流セミナーが開催された。青野さんのコンサートはマイク無しで「野バラ」で始まり、「オーソレミーヨ」、「早春賦」、「ビリーブ」や「世界に一つだけの花」を唄った。今回はソプラノ歌手・青野浩美さんをお迎えして講演「医療ケアって何?・・・」テーマは『前例がなければつくればいい~夢実現に向かって~』と題し力強い決心を語っていただいた。青野さんのコンサートはマイク無しで「野バラ」で始まり、「オーソレミーヨ」、「早春賦」、「ビリーブ」や「世界に一つだけの花」を皆さんとご一緒に唄った。
南部障害支援センター「あいりん」の篠原さん。車いす生活で膝に置いた人工呼吸器、車は運転するという。気管切開しても歌い続ける青野さんのトークは、両親を学校の教師に持ち、将来音楽教師になるのが夢でD女子大学に声楽を学んでいたという。平成18年12月27日、在学23歳のとき原因不明の発病を抱えた。突然全身の筋肉が虚脱して身体が動かなくなり、車いすに乗らなければ移動ができなくなった。さらに彼女は不幸が続いた、突然、呼吸が止まる発作(無呼吸症候群)に襲われた。
原因不明の難病を抱え、のどに穴を開ける気管切開を余儀なくされながらも活動を続けるソプラノ歌手・青野浩美さん。会話用の「スピーチカニューレ(管)」という専用の器具を使えば、再び声を出せるようになる。気管切開の手術を受けなければならない、気管に穴を開けて人工呼吸器をのどに直接つなぐ器具を取り付けるため、吐く息で声帯を振動させることが難しくなる。歌がすべてであるプロのソプラノ歌手・青野さんは「いのち」と「歌」の葛藤の日々が続き友人に相談し、そして窒息死する恐れもあり気管切開を決断し手術を受けた。だが医師からは「話せるようになっても、プロとして歌うことは前例がない」と言われた。しかし青野さんは「可能性があるなら自分が前例をつくる」と、自分に合う「スピーチカニューレ(管)」を探し出した。「スピーチカニューレ」という専用の器具を使えば、再び声を出せるようになることがあり現在3個目である。その後、身体にあった会話用の「スピーチカニューレ(管)」を探し当て、歌を取り戻した。
気管切開をしながら復帰した声楽家は全国でも例がない。 「二度と歌えなくなる」といわれた大きな試練を乗り越え声を取り戻した青野さん「前例がないから出来ない・・・は理由にならない」『前例がなければつくれいい、チャレンジすることで可能性を見いだす』とパワー溢れる力強さで話していた。車いすに乗ってプロのソプラノ歌手・青野浩美さんはステージで音楽活動を続けている。交流セミナーに集まった人たちは「彼女の諦めない生き方」を知り、雪降る凍る寒いときホッとこころが温かくなるのを感じた。青野浩美さんのブログ 「La preghiera 祈り」 http://hiromi726.exblog.jp/