宮川町の舞妓さん、総勢20数名、、、「みすず会」の秋のをどり、無事終了してあいさつに回った。
鴨川から東側にある四条~五条間の花街で、昔、四条河原に芝居小屋があったことから、多くの役者が住んだと云われている。
舞妓ちゃんたちは色はんなりとした装いで、笑顔を見せて回った。
寛文6(1666)年に祇園外六町と共に栄え、宝暦元(1751)年に茶屋営業が許可され、宮川筋と呼んでいたという。
おかあはん、おおきにどしたとお礼を述べた。
豊臣秀吉の時代、この辺りは広大な鴨川の河川敷きであり、若衆歌舞伎が始まったという。
舞妓ちゃんは、16,7歳で未成年だが衿替えも近付くと色っぽくなっていく。
若衆歌舞伎は男だけの芝居だったので、女形を演じる美少年が 選ばれ、これが現在の女形役者へと発展した所以と云われている。
芸舞妓たちはお茶屋とご贔屓筋にあいさつ回った。
京都には祇園甲部・祇園東・上七軒・先斗町・宮川町の五花街があり、それぞれお茶屋があり、毎年春と秋には歌舞練場で芸舞妓の「をどり」がある。(10/11撮影)
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