総門は、赤く塗られているところから「赤門」と呼ばれ、元禄年間に建立された。
敷居がないのは神楽岡の神々(別名・吉田山)が毎夜当寺に参詣する際に“つまずかない”ようするためだとの伝説があるという。
平安初期に比叡山の僧、戒算上人が、比叡山常行堂の本尊・阿弥陀如来立像を東三條女院の離宮があった現在の地に移して安置したのが「真如堂」の始まりである。
本尊は難を逃れて比叡山や大津など市内を数ヵ所転々した後、1693(元禄6)年220余年の歳月を費やしてようやく旧・洛東の地に再建された。
真如堂は、その名のとおり御利益は極楽往生で地元の方がのんびりとお参りや散策に訪れるような庶民的な寺である。
境内には、本堂や左横の池の中島に「赤崎弁天」の小さな祠、三重塔、鐘楼堂などが建ち並んでいる。
境内を一巡、散策したが昨年とは打って変わり、モミジの不作な年のような気がした!
モミジは不作だが集まった人たちは思い思いに紅葉を愛でていた。お次は今熊野観音寺に行こう。(11/16撮影)
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