寺伝によれば、将軍・足利義輝の家臣であった野本輝久の正室 伊佐が、亡き夫の菩提を弔うために自ら剃髪し、妙法尼として庵を結んだのが始まりである。
駒札も立っていない寺院で、寺号「慧光寺」は、輝久の法名に由来し、人々は伊佐の庵を「伊佐殿」と呼んだという。
天正年間(1573年~1593年)に現在地の笹屋町に移転し、享保15(1730)年に火災で焼失し、その後に再建された。
当寺から北東方向の今出川通沿いに建つ「京都市考古資料館」があり、町内を「元伊佐町」という。
これは開基となった野本輝久の妻、伊佐に由来して女性が町名の由緒になっているという。
0 件のコメント:
コメントを投稿