2015年7月21日火曜日

慧光寺 白蓮

西陣にある慧光寺は、山号を智証山慧光寺(ちしょうざんえこうじ)といって室町末期の天文年間(1532年~1555年)開創した日蓮宗の寺院である。
寺伝によれば、将軍・足利義輝の家臣であった野本輝久の正室 伊佐が、亡き夫の菩提を弔うために自ら剃髪し、妙法尼として庵を結んだのが始まりである。
駒札も立っていない寺院で、寺号「慧光寺」は、輝久の法名に由来し、人々は伊佐の庵を「伊佐殿」と呼んだという。
天正年間(1573年~1593年)に現在地の笹屋町に移転し、享保15(1730)年に火災で焼失し、その後に再建された。
当寺から北東方向の今出川通沿いに建つ「京都市考古資料館」があり、町内を「元伊佐町」という。
これは開基となった野本輝久の妻、伊佐に由来して女性が町名の由緒になっているという。
慧光寺では明治時代頃まで秘法の目薬を製造して人々から重宝されていたという。
赤門で知られる浄福寺の向かい側にある寺院で、特に境内にあるイチョウの木が素晴らしい。(7/21撮影)

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