24日、炎天下の中、後祭山鉾は御池通りから市役所前を通り河原町、四条通を華麗に巡行した。17日の先祭は台風11号の余波で奇しくも豪雨になったが今日は猛暑の中、復活2年目だった。

先頭の籤とらずの橋弁慶山が9:40ごろ、寺町御池の市役所前を通過した。

続き、北観音山は山というが鉾の感じで「エンヤラヤー」の掛け声と共に大きな車輪がガタゴトギシッと動いた。

山一番の役行者山(えんのぎょうじゃやま)は、修験道の開祖、葛城と大峰に石橋をかけたと伝説がある。

総金箔造りの社殿は、巡行日のみ山上に飾られる。八幡山のシンボル、鳩が二羽向かい合う。

鈴鹿権現「瀬織津姫命」の伝説を題材にした。

鈴鹿山の親子三代が一緒に巡行のお供を務めた。

南観音山、
下り観音山とも呼ばれ、楊柳観音像と善財童子像を祀っている。諸病を防ぐ柳の大枝を差している。

お囃子の中に女性が混じっていた!見送りは加山又造下絵「龍王渡海図」。

鯉山、龍門の滝を登った鯉は龍になるいう立身出世の金言。前懸、胴懸、水引はすべて重要文化財。

黒主山の少年は堂々くじ改めの大役をこなした。

黒主山は謡曲「志賀」を題材にした山で六歌仙の一人、大伴黒主が桜を眺める。

浄妙山は平家物語の宇治川の合戦を題材にした山。ご神体は浄妙坊、鎧(黒韋縅肩白胴丸)は重要文化財。

大船鉾は復帰2年目、晴れの舞台の勇姿は大金幣が好く似合っていた。

祇園祭は疫病退散を祈願する八坂神社の例祭の神事で千百年前から行なってきたという。(7/24撮影)
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