この建物は、旧盛岡銀行として明治44年4月に竣工、設計者は日本銀行本店や東京駅などを手掛けた明治洋風建築界の権威、辰野金吾博士と盛岡出身の葛西萬司工学士の両氏の手によるもので「赤レンガ」の愛称で親しまれている。
岩手銀行旧本店本館(現中ノ橋支店)は平成6年12月重要文化財に指定、傷みが激しく、大規模改修工事を行なう事になって残念であった。
直ぐ近くには「もりおか啄木・賢治青春館(旧第九十銀行)」あった。
盛岡市出身の建築家横濱勉の設計により、第九十銀行として明治43年12月11日に竣工している。
平成13年に所有者である(株)岩手銀行から建物の寄贈を受けた盛岡市では、この歴史的建造物の保存と活用を図るため、平成14年に『もりおか啄木・賢治青春館』としてオープンした。
啄木は節子に離縁、独り娘は京子は喪主のお知らせ。啄木没後、25年ということで盛岡劇場で上演された。
またガス燈の由来は、安政2(1855)年、南部藩医師・島立甫(玄燈)が、江戸亀井戸の自宅において、コールタール製造の副産物として発生する石炭ガスに点火し、照明として利用発明された。
材木町南口でバス降り、旭橋がある北上川沿いのいーはとーぶアベニュー材木町を見た。
ここは宮沢賢治が生前に刊行した童話集「注文の多い料理店」を出版した光原社がある。
日本の童話文学の最高傑作の1つとされるが、当時は話題にものぼらず、ほとんど売れなかった。
材木町両側には光原社、賢治の全身像もあり、中庭には北上川に面した雰囲気のよい喫茶室がある。(7/3撮影)
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